NFAJ Digital Gallery – No.29

公開日:2024年1月24日

第29回 スチル写真で見る「失われた映画たち」- 小津安二郎監督篇(1)

小津安二郎の監督作は54作品、そのうち、現在、何らかの上映素材が確認されているものが37作品です。残る17作品が「失われた映画」ということになりますが、今回、そのうちの9作品のスチル写真を紹介します。

スチル写真はすべて戦前のキネマ旬報社調査部が収集していたオリジナルの紙焼き写真で、裏面には「キネマ旬報社保存用スチル」とスタンプが押してあるものもあり、映画資料を後世に保存していこうとする高い意識の現われをみてとることができます。今回のスチル写真は、キネマ旬報社調査部の資料を引き継いだNFAJ所蔵の「社団法人日本映画連合会旧蔵 映画公社資料」からすべてデジタル化を行ったものです。

≪ ≫内は『キネマ旬報』1952年6月上旬号に掲載された「小津安二郎 自作を語る」からの引用です。この当時、小津監督は『お茶漬の味』(1952年)を準備中でした。

詳しいストーリーは雑誌『蒲田』や『キネマ旬報』の当該号をご覧下さい。『蒲田』に関してはNFAJ図書室のデジタル資料閲覧システムで見ることができます。

協力 松竹株式会社

 

『女房紛失』(1928年) Nyobo funshitsu / Wife Lost

左から斎藤達雄、岡村文子

写真/Photo

監督第3作

彼(斎藤達雄)は美しい妻(松井潤子)があるのにダンサーのモダンガール(岡村文子)を愛していた。妻は探偵(国島壮一)を雇い、夫の浮気を調査させる。

  • -『蒲田』1928年8月号:「松竹新映画封切記録」81~82頁参照。

 

 

≪ 何かの雑誌の懸賞当選脚本*でね。あまり面白いものとは言えなかったな。

実をいうと話もよく覚えていないんだ。 ≫

*『映画時代』1928年4月号掲載

 

左から国島荘一、松井潤子

左のスチル写真の裏面(一部)。中央に「キネマ旬報社保存用スチル」という朱色のスタンプが押印されている。

『カボチャ』(1928年) Kabocha / Pumpkin

中央右は坂本武、左は斎藤達雄、その左は大山健二

写真/Photo

監督第4作

毎日、妻からカボチャのおかずを出されているサラリーマン(斎藤達雄)が、泥酔した翌日、ありあわせのスポーツシャツで出勤すると、社長(坂本武)がカボチャの贈り物を持って来る。

  • -『蒲田』1928年11月号:「松竹新作映画封切記録」72頁参照。

 

 

≪ 大変短い写真でしたね。

だが、この頃じゃないかな、コンティニュイティの建て方というものが

自分でようやく判りかけて来たのは。 ≫

 

 

『肉体美』(1928年) Nikutaibi / Body Beautiful

写真/Photo

監督第6作

画家である妻(飯田蝶子)は、金持ち(木村健児)から依頼された注文の絵を描くために、貧弱な体の夫(斎藤達雄)をモデルにしていた。そして、ある事件がもとで、夫も絵の勉強に励むようになり、夫婦揃って展覧会に出品する。

  • -『蒲田』1929年2月号:「松竹新作映画封切記録」85頁参照。

 

 

≪ 僕の作品でどうにか恰好がついて来たというのは、この写真あたりからじゃないかな。

会社がはじめて僕を認めてくれたのはこの作品だったよ。 ≫

 

 

左から斎藤達雄、飯田蝶子

左から飯田蝶子、木村健児

スナップ。キャメラの前、撮影台本を持って座っているのが小津安二郎。

『宝の山』(1929年) Takara no yama / Treasure Mountain

写真/Photo

監督第7作

芸者屋の二階に居候する丹次郎(小林十九二)は芸妓ら(浪花友子、若美多喜子)に言い寄られるが、愛していたのは芸妓の染吉(日夏百合絵)であった。彼の行状を見兼ねたモダンガールの婚約者からは愛想をつかされる。

  • -『キネマ旬報』1929年1月21日・第319号:「各社近作日本映画紹介」85頁。

 

 

≪ この写真は大変急がされた想出がある。

徹夜徹夜で、完全に眠らないこと五日間に及んだよ。

処が案外に疲れないもんで、六日目の朝にはキャッチ・ボールをやってたね。 ≫

 

 

左から日夏百合絵、小林十九二

左から日夏百合絵、小林十九二

左から浪花友子、小林十九二、若美多喜子

左から日夏百合絵、若美多喜子、小倉繁、浪花友子

『結婚学入門』(1930年) Kekkongaku nyumon / An Introduction to Marriage

左から栗島すみ子、奈良真養

写真/Photo

監督第13作

結婚生活に倦怠を感じ始めた歯科医の竹林(高田稔)は、妻(龍田静江)を伴って新婚旅行の地・伊豆に出かけた。その車中で美しい女性を見かけ話しかけるが相手にされなかった。その女性は植物学の権威・北宮(斎藤達雄)を夫に持つ寿子(栗島すみ子)で、彼らの結婚生活も淋しいものであった。寿子が歯の治療に出かけると歯医者は竹林で、偶然の出会いから二人の交渉が始まった。一方、北宮にも愛人がおり、それを知った寿子は兄(奈良真養)に相談に行くが取り合ってくれない。ついに寿子は京都の実家に帰るべく家出をした。妻を追いかけた北宮は列車の中で妻を見つけ、見つめ合った二人は愛し合っていたことに思い至るのであった。

  • -『キネマ旬報』1930年1月1日・第352号:「各社近作日本映画紹介」222~223頁。

 

 

≪ 『結婚学入門』は正月物だから、実際の製作は昭和四年です。

まあ正月物としては凡そ地味な話だった。栗島すみ子をはじめて使った写真でね。 ≫

 

 

左から斎藤達雄、栗島すみ子

左から高田稔、栗島すみ子

左から龍田静枝、高田稔、栗島すみ子

左から斎藤達雄、栗島すみ子

『エロ神の怨霊』(1930年) Erogami no onryo / The Revengeful Spirit of Eros

写真/Photo

監督第17作

健太郎(斎藤達雄)は恋人の夢子(伊達里子)と投身自殺をする。遺書を見た健太郎の友人の大九郎(星ひかる)が海岸に駆け付けると、健太郎ひとりが岸に打ち上げられていた。健太郎は夢子が死んだと思い、その怨霊を怖がるが、夢子はダンスホールに出ていると大九郎に告げられる。二人は夢子のアパートに出かけ、あの手この手で彼女を怖がらせるが、夢子は驚くどころか大九郎を誘惑し始める。

  • -『蒲田』1930年10月号:「松竹キネマ封切記録」119頁。

 

 

≪ 温泉へ行って来い、と城戸さんは言いながらね、

その代り一本写真を撮って来いって言うんだよ。

お盆の添物でね、話も覚えていない写真だが……。 ≫

 

 

左から伊達里子、星ひかる

左から斎藤達雄、星ひかる、伊達里子

『足に触った幸運』(1930年) Ashi ni sawatta koun / The Luck Which Touched the Leg (Lost Luck)

写真/Photo

監督第18作

世は不景気時代、妻子持ちのサラリーマン(斎藤達雄)が出勤途中に大金を拾い、落とし主からお礼に300円を貰う。そのことが社内で評判となり、子沢山の年配社員からは借金を泣きつかれ、若い同僚(月田一郎、毛利輝夫)からは芸者遊びに連れ出される。さらに課長からは養鶏を進められ、妻(吉川満子)からは散々小言を言われ、残った金で妻のためにミシンを買うことになる。

  • -『蒲田』1930年10月号:「新作映画物語集」102~103頁。

 

 

≪ さて、これはどんな写真だったかな? 一向に思い出せない。 ≫

 

 

左から斎藤達雄、吉川満子、突貫小僧(青木富夫)、市村美津子

左から男性のみ、月田一郎、斎藤達雄、毛利輝夫

左から斎藤達雄、吉川満子

『お嬢さん』(1930年) Ojosan / Young Miss

写真/Photo

監督第19作

新人新聞記者の岡本(岡田時彦)と斎田(斎藤達雄)は、社会部長から特ダネを取ってくるよう命じられる。途方に暮れた二人は怪しげな映画俳優学校を訪れ、ラブシーンの実演と称して先生が女生徒に抱きついている現場を目撃した。これを特ダネと思った二人は、大威張りでアパートに帰り、キヌ子(田中絹代)を相手に原稿を書くが、女生徒に扮していたのは「お嬢さん」と綽名される先輩女性記者(栗島すみ子)で、翌朝の一面には彼女の記事が載っていた。それから岡本とお嬢さんの特ダネ競争が始まった。

  • -『蒲田』1931年1月号:「映画物語集」62~63頁。

 

 

≪ 喜劇の大ものをこしらえようという会社の方針で出来たんだ。

当時としては相当のスタアも使ってるし、僕としても大変力をこめて作ったものだった。 ≫

 

 

左から岡田時彦、栗島すみ子

左から岡田時彦、田中絹代、斎藤達雄

『美人哀愁』(1931年) Bijin aishu / Beauty’s Sorrow

写真/Photo

監督第21作

美術学校の卒業試験を終えた岡本(岡田時彦)と佐野(斎藤達雄)は、彫刻家の家に行き、そこで美しいモデルの少女・芳江(井上雪子)と出会った。佐野は彫刻家から少女の彫像を貰い、岡本はしばらくして芳江と親しくなり、一緒に暮らすようになった。都会風に洗練された芳江を見て、佐野は岡本と距離を置くようになった。岡本には学生時代に世話になったバーの女将(吉川満子)がいたが、芳江には恩人だと紹介した。ほどなくして芳江は病に侵され死んでしまった。芳江のために一切を犠牲にしてきた岡本は、佐野の持つ芳江の彫像を奪おうとし、二人は格闘の末、像は砕けてしまった。

  • -『キネマ旬報』1931年4月1日・第396号:「日本映画紹介」140頁。

 

 

≪ これは、ナンセンスの行き方をかえて、はじめてリアルに甘いものを作ろうと意気込んだのだな、

そしたら大変長たらしくてダラけた写真が出来てしまった。

ムキになって撮ったんだが、駄目だったね。 ≫

 

 

左から岡田時彦、斎藤達雄

左から井上雪子、岡田時彦

左から吉川満子、岡田時彦

左から井上雪子、岡田時彦

左から井上雪子、岡田時彦

左から岡田時彦、斎藤達雄、伊達里子