NFAJ Digital Gallery – No.32
公開日:2025年3月15日
第32回
スチル写真で見る「失われた映画たち」- 田坂具隆監督篇(2)
Stills of Lost Films: Tomotaka Tasaka (2)
今回も前回に続いて田坂具隆監督の「失われた映画」を紹介します。
≪ ≫内は前回同様『キネマ旬報』1957年1月上旬号に掲載された「田坂具隆研究 自作を語る」からの引用です。
この聞き書きの時期は、戦後の日活において『乳母車』(1956年)が公開された頃にあたり、取材した担当者は監督の様子を《キチンと膝をくずさないで、自分の作品をふりかえり、反省し、一言一言注意深く語ってくれる。そこには、映画一途に生きて来た作家の奥ゆかしい誇りが感じられる》と記しています。
『思ひ出の水夫』(1928年)
Omoide no suifu
写真/Photo
監督第18作
太平洋に面した漁村に逞しい漁師の井沢庄作(東勇路)と、内気な小学校教師の田中良吉(南部章三)がおり、二人は美しい娘おゆき(沢蘭子)に恋していた。庄作はおゆきと結婚し、外国航路の水夫長となったが、難破し死の知らせが届いた。良吉はおゆき親子の苦しい生活を見かねて、おゆきと再婚した。しかし、死んだと思っていた庄作が無人島から帰って来た。
‐『キネマ旬報』1928年9月21日 第308号:「各社近作日本映画紹介」60頁。
≪『イノック・アーデン』[19世紀のイギリス詩人アルフレッド・テニスンによる長篇物語詩]…にヒントを得て山本嘉次郎君がシナリオを書いたものです。その頃わたしは山本君といつも一緒に生活し、一緒に仕事していたものですが、…山本君という人は、…話をしていても、湧くようにイメージが出て来るのです。こういう人はあまりたくさんいません。一種の才人です。≫
『饗宴』(1929年)
Kyoen
写真/Photo
監督第20作
裕福な令嬢万千子(夏川静江)は恋人辰夫(神田俊二)が失踪したため、求婚者の啓三郎(島耕二)と結婚した。新婚旅行の途中、万千子は辰夫と再会した。辰夫は労働運動を研究するため秘密裏に外国に行っていたのだった。その後、二人の運命は、辰夫を慕う労働階級の娘美代子(瀧花久子)の登場もあって複雑に絡まり合っていく。
‐『キネマ旬報』1929年3月11日 第324号:「各社近作日本映画紹介」89頁。
≪新聞連載小説[『東京日日新聞』『大阪毎日新聞』連載、原作者は加藤武雄]の映画化で、たしか大いそぎで撮ったことをおぼえています。そのわりには見られるものだったし、夏川静江をうまく生かすことができたと思うのですが…≫
『私と彼女』(1929年)
Watashi to kanojo
写真/Photo
監督第21作
子どもの頃より兄に頭のあがらない三吉(島耕二)は、銀行員になり相思相愛の富美子(瀧花久子)と結婚しようとしたが、今度は彼女の兄(村田宏寿)に反対された。そんな時、三吉に伯父(鈴木三右衛門)の遺産が舞い込んだが、その金を自分の兄を救うために使い果たし、貧乏のどん底に陥った。
-『キネマ旬報』1929年1月11日 第318号:「各社近作日本映画紹介」97~98頁。
≪半分は悲劇、半分は喜劇、安サラリーマンの夫婦生活をあつかったもので、…風俗喜劇といったらいいでしょう。≫
『愛の風景』(1929年)
Ai no fukei
写真/Photo
監督第23作
電話交換手の堀川ちぐさ(入江たか子)は、恋人の電信技士晴山三郎(南部章三)の誕生日プレゼントを買うため、自分の髪を売ってお金に換えた。しかし断髪を理由に職を追われ、雨の中をさまよったせいで病気となった。ちぐさは死を覚悟した寝床で、暴風雨でも散らない一枚の木の葉に生きる希望を見出した。その最後の一葉は二人を温かく見守っていた老絵師(月山牧人)が描いたものだった。
‐『キネマ旬報』1929年6月1日 第332号:「各社近作日本映画紹介」83~84頁。
≪思い出の深い映画の一つです。原作はアメリカのO・ヘンリーが書いた短篇[『賢者の贈り物』『最後の一葉』]で、シナリオはやはり山本嘉次郎君。…モダンな感覚の映画で…小品ながら、評判はよかったですね。≫


『雲の王座』(1929年)
Kumo no oza
写真/Photo
監督第24作
日本アルプスで山の案内人を務める仁平(浅岡信夫)は、山育ちで野性味あふれる男だったが、純真な村娘おきぬ(入江たか子)に恋心を抱き結婚した。都会から歌人の朱実(築地浪子)がやって来て、仁平の肉体美に興味を示し、誘惑した。仁平が妖艶な朱実を追って都会に出ると、心配したおきぬも都会に探しに出た。そして、おきぬが、水力発電によって山の自然を破壊しようと企む男(美濃部進[岡譲二])の餌食になったとの知らせが、仁平のもとに届いた。
-『キネマ旬報』1929年8月21日 第340号:「各社近作日本映画紹介」52頁。
- 山本嘉次郎「シナリオ 雲の王座」『映画知識』1929年9月号、80~103頁。
≪山男と女の話ですが、それをかりて、近代文明を皮肉ろうとしたのです。≫




『この母を見よ』(1930年)
Kono haha o miyo
写真/Photo
監督第25作
うち続く吹雪が止んだ夜、一人の女性が鉄道線路に飛び込んだ。彼女は倭子(瀧花久子)といい名門家庭の女性だったが、病気の愛娘を残して死を選んだ。母の死を知らないその子の病床には倭子の幼友達の祥子(入江たか子)が悲痛な面持ちで付き添っていた。倭子はなぜ死ななければならなかったのか。彼女は少壮学者の夫桑木(南部章三)が突然死亡し、愛児を抱えて無慈悲な社会の荒波と闘わなければならなかった。
-『キネマ旬報』1930年1月21日 第354号:「各社近作日本映画紹介」92頁。
≪原作はたしかポーランドかどこかの女流作家[エリイザ・オルゼシュコ『寡婦マルタ』清見陸郎訳、改造社刊]だったと思います。シナリオは山本君ではなく、はじめて八木保太郎さんと組みました。この映画は、多分に社会的な主題で、傾向映画の一つのようにいわれていますが…いって見れば自己流のヒューマニズムですね。…検閲ににらまれ、二巻*くらいぜんぜん切られてしまいました。≫
*『キネマ週報』1930年5月30日号所載の「今週の話題/現行検閲治下に曝された『この母を見よ』五百米突切除の真相」(14~16頁)によれば3,006m[24fpsに換算して110分]のうち463m[17分]が切除されたとのことである。
『かんかん虫は唄ふ』(1931年)
Kankanmushi wa utau
写真/Photo
監督第27作
横浜で船の錆取りに従事する「かんかん虫」と呼ばれる労働者の中に、義侠心の強いトム公(田中春男)がいた。石炭成金の男に仲間が盗みの嫌疑をかけられた時、トム公は愚連隊を率いているハンケチ女のお光(瀧花久子)に助けを仰いだ。一方、大隈伯爵(山本嘉一)の親友が行方知れずの子どもを探していたが、それがトム公と彼の妹(花井蘭子)だとわかった。
-『キネマ旬報』1931年3月11日 第394号:「各社近作日本映画紹介」105頁。
≪『この母を見よ』をとって、検閲では左翼だとにらまれ…会社からは冷たくあつかわれ…そういうスランプからぬけ出して、どうやら自分のペースでつくったのが、この『かんかん虫は唄ふ』です。≫
『心の日月 烈日篇 月光篇』(1931年)
Kokoro no jitsugetsu retsujitsuhen gekkohen
写真/Photo
監督第29作
皆川麗子(入江たか子)は学業のため東京に行った恋人の磯村(井染四郎)を追って、上京したが待ち合わせの飯田橋駅には出口が二つあって、会うことができなかった。失意の麗子は偶然知り合った渡辺洋子(浦辺粂子)の紹介で商事会社の秘書となった。社長の中田(島耕二)は麗子に惹かれ、皮肉にも磯村は中田家の書生となり、中田の妹(高津愛子)の求愛に悩んでいた。中田の妻の嫉妬により会社を辞めた麗子は、みどり(瀧花久子)の斡旋によりデパートで働くことになった。
-『キネマ旬報』1931年9月1日 第411号:「日本映画紹介」127~128頁。
≪菊池寛原作のメロドラマで、わたしの映画では一寸めずらしいくらい大ヒットをしました。…飯田橋の駅には二つの出口がある。…一種のスレチガイですね。≫
『春と娘』(1932年)
Haru to musume
写真/Photo
監督第31作
手風琴(ルビ:アコーディオン)を弾きながら春になると村にやって来る「オイチニの薬屋」正太(島耕二)は、郵便局長の姪のおたま(伏見信子)の成長を楽しみにしていた。村の祭礼の日、おたまは正太に村から連れ出してくれと頼んだ。有頂天になった正太は、約束の一番列車を待っていた。おたまは自分には都会に恋人がいて、正太をダシに使ったと泣きながら告白した。正太は驚いたが、おたまを汽車に乗せてやった。
-『キネマ旬報』1932年6月21日 第439号:「日本映画紹介」64頁。
-「春と娘」(トーキー・コンティニュイティ) 『映画科学研究』第10輯、1932年9月、1~67頁。
≪[前作の]『鳩笛を吹く女』の主題歌レコードをかけていたんです。そのレコードの裏*を何気なく聞いて見ると、なかなかいい曲です。そばにいた山本嘉次郎君と、この方がいいじゃあないか、これで一本つくろう、というわけでアイディアをもちより、シナリオにしてもらいました。…オール・アフレコのトーキーで、なかなか評判もよかったと記憶しています。≫
*日本コロムビア発売のレコード「鳩笛を吹く女」のB面は「風も吹きよで」。作詞は西岡水朗、作曲は古賀政男、歌手は丸山和歌子。
