NFAJ Digital Gallery – No.21

公開日:2020年12月22日

第21回 澤村四郎五郎コレクション(2)

今回は「澤村四郎五郎コレクション」シリーズ(2)として、澤村四郎五郎一派出演の松竹キネマ下加茂撮影所作品『猿飛の忍術』(1923年)で使用された香盤(香盤表)をご紹介します。香盤とは場面ごとに出演俳優を対応させた表で、端役については「侍士」「山賊」などと扮装も書かれています。掲載資料は全て島村明氏(澤村四郎五郎ご令孫)寄贈品です。

 

『猿飛の忍術』香盤(1923年) Cast list for Sarutobi no Ninjutsu

香盤/Cast list

  製作:松竹キネマ 出演:澤村四郎五郎一派
  Production company: Shochiku Kinema, Cast: Shirogoro Sawamura and his troupe

 

 

 

 

 

 

 

上の画像をクリックすると、資料の詳細をPDF上で拡大して閲覧頂けます。

「俳優氏名」欄は本名で記載されているため判り難いが、推定も含めて以下に記載する。

座長/猿飛佐助 真田幸村=澤村四郎五郎

濱乃/霧隠才蔵=片岡童十郎(本名 濱野源次郎)

萩原/店主弥次兵衛=阪東佳玉

小倉/徳川家康=市川升童

田中/南郷十太夫=中村吉蔵

舟橋/娘お君=中村太郎

四若/真田大助=澤村四若

城所/鬼神お六=澤村清紀之丞

西條/小天狗丈太郎=浅尾工女次郎

佐藤/女中お玉=松本田三郎(本名 佐藤忠一)

松本/三好伊三入道=

木村/渡辺平蔵 望月六郎=澤村栄花

吉田/清海入道=

石川/筧十蔵=

 

『猿飛の忍術』(1924年) Sarutobi no Ninjutsu

『猿飛の忍術』片岡童十郎(左)、澤村四郎五郎(右)

『猿飛の忍術』片岡童十郎(左)、澤村四郎五郎(右)

写真/Photo

物語は、関ヶ原の戦いの後、紀州の九度山に閑居していた真田幸村が、その家臣である猿飛佐助と伊賀流忍者の霧隠才蔵に命じて、天下取りを企む徳川家康の命を狙うという「真田十勇士」で知られた物語に、幸村の息子・大助と茶屋の娘お君の悲恋を絡めて描くというものです。(詳しいあらすじは『活動雑誌』1924年3月号の西村雨城「面白い映画小説集/猿飛の忍術」参照)

『猿飛の忍術』は当初「猿飛佐助」の題名で1923年12月に撮影され、翌1924年1月11日、浅草の封切館である大勝館で公開されました。

松竹キネマ蒲田撮影所で旧劇を作っていた澤村四郎五郎は、1923年9月の関東大震災で製作を中断、現代劇部の人々は京都の下加茂撮影所に移りました。その年の11月、現代劇部の人々が蒲田に復帰した後、四郎五郎一派は下加茂で旧劇の製作を再開しました。 江戸歌舞伎出身で帝国劇場の舞台にも立った名題役者の四郎五郎にとっては、ホームグラウンドを東京から京都に移すことは冒険でもありました。

当時の批評には次のようにあります。

≪忍術物を映画化するとしては、此写真は其目的で出来ては居ない。矢張在来の旧劇式だが、背景が京都だけに、此一派が蒲田に居て撮ったのよりもすぐれて居るは争われぬ。佐助が駿府城を伺う処は、二條の城外を使ったのが、京都派の日活[尾上松之助一派のこと]のと同じ場所でも、又劇の趣があった。/大助に対するお君の恋の悲劇を取入れたのは、全篇の色彩の配合上よい。箱根山中を通る家康の同勢は大張込みで、多く馬を使って、それが皆本式の日本馬具が揃って居るのは嬉しい。日活もマキノもこうありたい。/忍術のトリックは例によって巧みだが[撮影はヘンリー小谷の助手を務めていた吉田英男]、殊に米俵に手足が生えて踊り出して出演するのは、ダブルロールの理を応用したのが、巧に出来て出没のキッカケが巧だ。障子に現れる佐助の半身の姿は、これ又鮮やかに出来た。/四郎五郎の幸村は一通り、二役佐助は得意の役で、松之助程重々しくないのが、却って忍術者らしくてよい。童十郎の才蔵はチト重くるしいが、立派な押出しを取る。≫

(「封切優秀映画批評/猿飛の忍術」『活動雑誌』1924年3月号)

「旧劇式」とあるのは女形を使っているからですが、四郎五郎一派も『猿飛の忍術』の次の作品『日蓮小町』からは女優を加入させて新しい時代劇を作っていくことになります。