NFAJ Digital Gallery – No.4
公開日:2013年9月4日
第4回
戦前期日本の映画館写真(2)―東京・銀座 有楽町 日比谷篇
20世紀最大の娯楽産業として君臨してきた映画―それを担ったのは、昭和初期までに各地に建設された豪奢な映画館の数々でした。大衆を惹きつけるその堂々たる建築、そして華やかな宣伝装飾は、娯楽の王者としての映画の圧倒的なパワーを象徴しています。「戦前期日本の映画館写真」第2回は、日本でも最高級の映画街をなした東京の銀座・有楽町・日比谷を取り上げ、代表的な劇場だった邦楽座・日本劇場・日比谷映画劇場・帝国劇場などの壮大な姿をご覧いただきます。なお、このシリーズの写真はすべて国立国会図書館からの寄贈によるものです(社団法人日本映画連合会旧蔵映画公社資料)。
丸ノ内松竹劇場(1935年)
Marunouchi Shochiku Theater, Yurakucho (1935)
写真/Photo
燦然と輝く鷲の装飾。パラマウント映画の封切館だった邦楽座が1934年6月「丸ノ内松竹劇場」と改称、松竹映画の封切館となった。1940年1月に「邦楽座」に戻ったが、敗戦後の1946年9月、進駐のイギリス軍に接収され「ピカデリー劇場」と名を変え、返還後は松竹洋画系ロードショー館となった。現在の「丸の内ピカデリー」の場所。
Hogakuza Theater was renamed as “Marunouchi Shochiku Theater” in 1934 and released Shochiku films (until 1940). During the occupation period after the WWII, British Force renamed it as “Piccadilly Theater”.