NFAJ Digital Gallery – No.33 

公開日:2026年3月24日

第33回
1940年代中国の映画館写真 上海(1)

今回と次回で取り上げる上海租界の14館の映画館写真は、『映画旬報』1941年7月1日号(第18号)に掲載されたグラビア「上海の映画館」(10~13頁)に使用されたものです。撮影を担当した小出孝は、この時期、中華電影公司営業部次長として上海に在住しており、同号および次号(『映画旬報』1941年7月11日号・第19号)には「上海映画界解説」も寄稿しています。

解説文を執筆した松井翠声は、活動写真弁士として活躍したのちトーキー時代に渡米し、帰国後は東宝文化映画『上海』(1938年、亀井文夫監督)でナレーションを担当しました。また第二次上海事変後の上海に取材したルポルタージュ『松井翠声の上海案内』(1938年)を出版するなど、「上海通」としても知られた人物です。

本文の引用は松井によるこの解説文に拠っており、所在地・定員・経営者の情報は『映画年鑑 昭和十七年』(日本映画雑誌協会、1942年)を参照しています。 なお、このシリーズの写真はすべて戦前の日本映画雑誌協会旧蔵のもので、国立国会図書館からの寄贈による「社団法人日本映画連合会旧蔵 映画公社資料」の一部です。また『映画旬報』に掲載されなかった写真についても、資料的価値を考慮し、すべて取り上げています。

上海・リッツ劇場
Ritz Theatre, Shanghai

リッツ劇場
Ritz Theatre

写真/Photo

「虹口側、つまり日本人町にあって、昔はよく外人の素人芝居やなにかに貸したりして居たが目下は「中華映画」[中華電影]が借りうけて服部数正名支配人が専ら洋画を安くみせて呉れて居る」

国際映画劇場(1942年当時の名称、開館時の名称は融光大戯院) 所在地:上海 海寗路[海寧路]330、定員:1,668名、経営者:上野圭司。

小出孝は「上海映画界解説1」(『映画旬報』第18号)で「日本人街の中心、海寗路にあり、上海唯一の日本人経営洋画館にて、系統はパラマウント、フォックス、コロムビアの四番館にて、入場料は軍票建」としている。

上海・東和劇場
Towa Theatre, Shanghai

松竹と日活作品の上海における封切館

写真/Photo

「足かけ五年前の上海事変の始めに、よくここで軍の人達が日本、海外、支那側のニュース映画等を試写されたのを見せて貰った」

所在地:上海 乍甫路341、定員:970名、経営者:下里弥吉。

看板に見える上映作品は『戸田家の兄妹』(1941年、松竹、監督:小津安二郎、主演:佐分利信)。

上海・第二歌舞伎座
Daini Kabukiza Theatre, Shanghai

看板からもわかるとおり東宝と新興キネマ作品の上海における封切館

写真/Photo

「北四川路からハンニン路へ曲る角のところに出来た映画館で、(略)あとから割り込んで改築した劇場だから入口は狭いが、中は相当で、日本物の新らしいのを上映する。(略)北四川路の歌舞伎座は(略)歌舞伎や新派などが来ると、それを上演したりするチャンポンであるが、第二歌舞伎の方は映画だけである」

所在地:上海 海寗路[海寧路]410、定員:950名、経営者:杉田大一郎、支配人:中村寿男(この情報のみ『日本映画年鑑 昭和十六年度版』大同社、1941年に拠る)。

看板に見える上映作品は『昨日消えた男』(1941年、東宝映画、監督:マキノ正博、主演:長谷川一夫)。

上海・麗都大戯院
Rialto Theatre, Shanghai

麗都大戯院
Rialto Theatre

写真/Photo

「外国映画と支那映画の自由選択で見せて居るが、つい先頃迄は洋画に漢文のスーパアが付いて居るのを出したりして大いにサーヴィスをして居た」

所在地:上海 貴州路239号、定員:1,200名、経営者:亜洲影院公司。

上映作品は不明。

上海・国泰大戯院
Cathay Theatre, Shanghai

国泰大戯院
Cathay Theatre

写真/Photo

「専ら外人達が沢山住んで居る仏蘭西タウン[フランス租界]をお客にして居る洋物専門館である」

所在地:上海 霞飛路868号、定員:1,000名、経営者:亜洲影院公司。

看板に見える上映作品は『You’ll Find Out』(1940年、アメリカ映画、日本未公開、監督:デヴィッド・バトラー、主演:ケイ・カイザー、ボリス・カーロフ)。

上海・国聯大戯院
Kou Liee Theatre, Shanghai

国聯大戯院

写真/Photo

「凡そ影の薄い映画館の有様で、ダンスホールと二軒の看板が、ごっちゃに出て居る。その間にはまって居るのが、我が国聯大戯院である。半円形のは「米高美」ミクメ・ダンスホールで、電信棒と言ってもコンクリートの四角棒だが、その電信棒の先きにみえるのは『国泰』カセイダンスホールの看板である」

所在地:上海 虞洽郷路、定員:1,032名、経営者:張浦還。

上映作品は不明。

上海・滬光大戯院
Astor Theatre, Shanghai

滬光大戯院
Astor Theatre

写真/Photo

「非常に清潔な感じがするので日本の人も支那映画を見るのにはよく此処へ出かける。上映映画も俳優とか監督とかに名の知れた人達が多く、ヒット作品が屢々しばしばあるらしくロングランをやる事がある」

所在地:上海 福熙路・愛多亜路角、定員:1,514名、経営者:史廷盤。

看板に見える上映作品は『返魂香』(1941年、中国映画、監督:朱石麟、主演:英茵)。

上海・金都大戯院
Golden Castle Theatre, Shanghai

金都大戯院
Golden Castle Theatre

写真/Photo

「昨年の暮にダンス場から金のあがる映画劇場に転身したのが、この金都で、時折芝居もやると云う二また興行である。バラックの博覧会式の安普請で設備も、中が余り広くないのでよくない」

所在地:上海 同孚路・福熙路角、定員:1,500名、経営者:柳中浩。

看板に見える上映作品は『夜半歌声 続集』(『続・深夜の歌声』、1941年、中国映画、監督:馬徐維邦、主演:談瑛、劉瓊)。

フランス租界のアヴニュー・フォッシュ(Avenue Foch)にあった映画館看板群。中央が金都大戯場の『夜半歌声 続集』、その左隣り上が大光明大戯場の『ハイ・シェラ』High Sierra (1941年、アメリカ映画、当時は日本未公開、中国語題名:摩天嶺、監督:ラオール・ウォルシュ、主演:ハンフリー・ボガート、アイダ・ルピノ)、その下が国泰大戯場の『Victory』(1940年、アメリカ映画、日本未公開、監督:ジョン・クロムウェル、主演:フレデリック・マーチ)、中央の右隣り上が『The Son of Monte Cristo』(1940年、アメリカ映画、日本未公開、監督:ローランド・V・リー、主演:ルイス・ヘイワード、ジョーン・ベネット)、その下が大上海大戯院の『The Mummy’s Hand』(1940年、アメリカ映画、日本未公開、監督:クリスティ・キャバンヌ、主演:ディック・フォーラン)、その横が大華大戯院の『大編隊』Flight Command(1940年、アメリカ映画、当時は日本未公開、監督:フランク・ボーゼイギ、主演:ロバート・テイラー)。