NFAJ Digital Gallery – No.30

公開日:2024年2月7日

第30回 スチル写真で見る「失われた映画たち」- 小津安二郎監督篇(2)

今回も前回に引き続き、小津安二郎監督の「失われた映画」4作品のスチル写真を紹介いたします。≪ ≫内は『キネマ旬報』1952年6月上旬号に掲載された「小津安二郎 自作を語る」からの引用です。

詳しいストーリーは雑誌『蒲田』や『キネマ旬報』の当該号をご覧下さい。『蒲田』に関してはNFAJ図書室のデジタル資料閲覧システムで見ることができます。

協力 松竹株式会社

 

『春は御婦人から』(1932年) Haru wa gofujin kara / Spring Comes from the Ladies

写真/Photo

監督第23作

卒業試験を控えた大学生の吉田(城多二郎)と加藤(斎藤達雄)は、洋服店へのたまった借金も悩みの種だった。ひょんなことから洋服店主の坂口(坂本武)に替え玉受験させた加藤は見事落第した。そんな加藤を喫茶店のまさ子(泉博子)はやさしく慰めた。就職活動中の吉田はある会社に行き、その会社を馘にされた娘に同情し、会社への推薦状を自らも破り捨てた。その娘は坂口の義理の妹・美代子(井上雪子)だった。坂口は吉田の借金を取り戻そうと、得意先の社長を紹介し、吉田を就職させた。吉田の初めての月給日、そこには坂口が待っていた。

  • -『蒲田』1932年2月号:「映画物語」56~57頁。

 

 

≪映画を疑ってた頃のだからね、詳しいことは忘れてしまった。
『淑女と髯』頃からかな、コンティニュイティを建てるのもよしてしまって撮ったよ。≫

 

 

左から坂本武、斎藤達雄

左から城多二郎、泉博子、斎藤達雄

左から坂本武、井上雪子

左から井上雪子、城多二郎

『また逢ふ日まで』(1932年) Mata au hi made / Until the Day We Meet Again

左から岡譲二、岡田嘉子

写真/Photo

監督第26作

二年前、香港に旅立った男(岡譲二)が女(岡田嘉子)のもとに帰って来た。女は夜の商売をしており、彼女は男に召集令状を見せた。男は出征前に、勘当されていた父(奈良真養)の家に帰ると、妹(川崎弘子)は喜んでくれたが、父は許すことに躊躇した。父との不仲は女のためだった。女から息子の出征を知らされた父と妹は駅に駆け付けたが、男を乗せた軍用列車は出発した後だった。

  • -『キネマ旬報』1932年7月21日・第442号:「日本映画紹介」47~48頁

 

 

≪この写真では岡田嘉子をはじめて使った。仲々うまい人だと思いました。
それに、この作品は僕のはじめてのサウンド版だった。≫

 

 

左から岡譲二、岡田嘉子

左から川崎弘子、岡田嘉子

左から岡譲二、岡田嘉子

『箱入娘』(1934年) Hakoiri musume / An Innocent Maid

写真/Photo

監督第32作

甘酒横町に暮らす煎餅屋の喜八(坂本武)とその腕白息子の富坊(突貫小僧)、隣には髪結のおつね(飯田蝶子)と娘のおしげ(田中絹代)が住んでいた。おつねの幼友達おたか(吉川満子)の家には青年・荒田(竹内良一)が下宿していた。喜八の口利きでおしげはある若旦那との婚約が整ったが、おしげと荒田の仲を知った喜八は、婚約を破談にして二人を添わせてやった。

  • -『キネマ旬報』1935年1月1日・第527号:「日本映画紹介」235頁。

 

 

≪「箱入り娘」[ママ]シリイズを作るという話もあったけど、これ一本で終った。
キャメラの故障で遅れちゃって、大晦日の晩が徹夜、やっと元日の朝出来上った。≫

 

 

左から田中絹代、飯田蝶子

左から田中絹代、飯田蝶子

左から飯田蝶子、田中絹代

田中絹代

田中絹代の背後に貼られているのはガルミッシュ=パルテンキルヘン冬季オリンピック(1936年、ドイツ)のポスター。

竹内良一、田中絹代

左から坂本武、田中絹代

左から飯田蝶子、田中絹代

スナップ、田中絹代。

スナップ、田中絹代。『キネマ旬報』1935年1月21日・第529号の「旬報ぐらふぃっく」(69頁)に掲載された特写。
そのキャプションには「撮影に本当に涙を流した田中絹代」とある。

『大学よいとこ』(1936年) Daigaku yoitoko / College Is a Nice Place

高杉早苗

写真/Photo

監督第35作

安下宿の大学生たちは学業に身が入らず、卒業した先輩たちも就職口がない。大学生の藤木(近衛敏明)には若い妻(高杉早苗)がおり妊娠している。野球部の名投手で鳴らした青木(日下部章)は、過度な練習がたたって今は床に就いている。藤木の親友・天野(笠智衆)は不況にあえぐ郷里の親を助けるため、卒業を前に退学を決意する。

  • -『キネマ旬報』1936年4月1日・第571号:「主要日本映画批評〔略筋〕」211頁。

 

 

≪一つ下宿に住んでいる学生達の話ですがね、たのしくない学生生活ですよ。
暗い話です。≫

 

 

左から近衛敏明、高杉早苗。ポスターはG・W・パプスト監督のフランス映画『上から下まで』(Du haut en bas, 1933、日本公開は1936年5月)。

左から高杉早苗、飯田蝶子、爆弾小僧

左から高杉早苗、日下部章、笠智衆