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フィルムは記録する'97:日本の文化・記録映画作家たち
Glimpses of Nippon '97: A Japanese Documentary Tradition

2月11日(火・祝)-3月8日(土)/3月18日(火)-3月29日(土)


 報道、教育、宣伝、啓蒙、観光、社会批判など、さまざまな局面で我々の生活を取り巻いている非劇映画(ノンフィクション・フィルム)--長篇劇映画(フィーチャー)とは異なるかたちで受容されつつ広大なジャンルの裾野を形成し、今世紀をふりかえる歴史資料としての価値を益々高めつつあるその豊かな映像文化の系譜を、「文化映画の黄金時代」と呼ばれた戦前・戦中にさかのぼり、パイオニアたちの現存する作品を通して回顧する企画です。

 映画法の制定に基づいて1940年に実施された文化映画の指定(強制)上映は、新旧の専門製作会社に活動の場を与え、映画の社会的な影響力を知らしめることにもなりました。創作と理論の両面にわたって活発な試みがなされたこの時代に新たな映画文化の担い手として認知された代表的な文化・記録映画作家たちの足跡をたどるとともに、それに先立って「実写」「出来ごと写真」と呼ばれた頃の時事映画や歴史上重要な記録映画の数々をも概観します。

 時代の諸相を時に生々しく写しとったそうした映像との出会いは、劇映画とは違った「もう一つの映画体験」の機会を提供してくれるでしょう。

A-1 実写・出来ごと写真の時代
2/11(火・祝)1:00pm 2/26(水)6:30pm 3/20(木・祝)1:00pm
A-2 白井茂と東京シネマ商会
2/11(火・祝)4:00pm 2/26(水)3:00pm 3/20(木・祝)4:00pm
A-3 青地忠三と横浜シネマ商会
2/12(水)3:00pm 2/27(木)6:30pm 3/21(金)3:00pm
A-4 ヘンリー小谷と大洞元吾
2/12(水)6:30pm 2/27(木)3:00pm 3/29(土)1:00pm
A-5 鈴木重吉
2/13(木)3:00pm 2/28(金)6:30pm 3/22(土)1:00pm
A-6 円谷英二[1]
2/13(木)6:30pm 2/28(金)3:00pm  
A-7 円谷英二[2]
2/14(金)3:00pm 3/1(土)4:00pm  
A-8 十字屋映画部[1]:太田仁吉と鈴木喜代治
2/14(金)6:30pm 3/1(土)1:00pm 3/26(水)3:00pm
A-9 十字屋映画部[2]:奥山大六郎と小林米作
2/15(土)1:00pm 3/4(火)6:30pm 3/21(金)6:30pm
A-10 芥川光蔵と満鉄映画製作所
2/15(土)4:00pm 3/4(火)3:00pm 3/25(火)6:30pm
A-11 芸術映画社[1]:石本統吉と井上莞
2/18(火)3:00pm 3/5(水)6:30pm 3/22(土)4:00pm
A-12 芸術映画社(2):厚木たかと水木荘也
2/18(火)6:30pm 3/5(水)3:00pm 3/26(水)6:30pm
A-13 下村兼史と理研科学映画
2/19(水)3:00pm 3/6(木)6:30pm  
A-14 亀井文夫[1]
2/19(水)6:30pm 3/6(木)3:00pm  
A-15 亀井文夫[2]
2/20(木)3:00pm 3/7(金)6:30pm 3/27(木)3:00pm
A-16 東宝文化映画部[1]:吉野馨治
2/20(木)6:30pm 3/7(金)3:00pm  
A-17 東宝文化映画部[2]:三木茂
2/21(金)3:00pm 3/8(土)4:00pm  
A-18 東宝文化映画部[3]:秋元憲
2/21(金)6:30pm 3/8(土)1:00pm 3/28(金)3:00pm
A-19 “日本紹介”映画
2/22(土)1:00pm 3/18(火)6:30pm 3/28(金)6:30pm
A-20 劇映画の作家・会社と文化映画
2/22(土)4:00pm 3/18(火)3:00pm 3/29(土)4:00pm
A-21 同盟通信社:桑野茂と岩佐氏寿
2/25(火)3:00pm 3/19(水)6:30pm 3/25(火)3:00pm
A-22 戦争を写したカメラマン
2/25(火)6:30pm 3/19(水)3:00pm 3/27(木)6:30pm


A-1 2/11(火・祝)1:00pm 2/26(水)6:30pm 3/20(木・祝)1:00pm

実写・出来ごと写真の時代(計67分)

いまだ「実写」「出来ごと写真」と呼ばれていた時事映画の数々。白瀬矗海軍中尉率いる第2次南極探検隊(1910~1912)の航海記録は、日活創立以前に製作された初期映画としても貴重である。

大正期以降、皇室は最もポピュラーな実写の題材となった。文部省主催による我が国最初の活動写真展覧会(1921)を御見物する、摂政宮となった直後の皇太子裕仁(昭和天皇)。このフィルムからは脱落している尾上松之助父子による実演(楠公父子桜井駅の別れ)を、今回、日活所蔵のオリジナル・ネガから新たに復元した「史劇 楠公訣別」によって補う。

大正天皇の葬儀(1927)では飛行機や急行列車を用いての即日上映が競われ、世界一周親善飛行の途次霞ヶ浦に立ち寄ったドイツの飛行船ツェッペリン(1929)をめぐっては、その船体を間近に捉えるべく新聞各社が飛行機を繰り出すほどに報道競争が加熱した。

日本南極探檢(20分・35mm・無声・白黒)
'12(Mパテー商会)(撮)田泉保直
摂政宮殿下活動写真展覧会御台覧実況(2分・35mm・無声・白黒)
'21(文部省)
史劇 楠公訣別(17分・ 35mm・無声・白黒)
'21(日活)
大正天皇 御大喪の御儀(11分・35mm・無声・白黒)
'27(文部省)
世界一周飛行 ツエッペリン伯号(17分・16mm・無声・白黒)
'29(文部省)(撮)藪下泰次

A-2 2/11(火・祝)4:00pm 2/26(水)3:00pm 3/20(木・祝)4:00pm

白井茂と東京シネマ商会(110分)

関東大震災(1923)による被害状況を記録したカメラマンとして知られる白井茂(1899~1984)は、文部省が製作する映画を受託していた東京シネマ商会(1914年創立)で活動を始め、記録映画・ニュース映画撮影の草分け的存在として第一線で活躍し続けた。

「昔の競技」は古代の貴族、武家社会に流行した遊戯の再現。蹴毬、打毬、ホロ引き、ヤブサメなどが収録されている。台覧相撲は大正11年4月29日に霞が関離宮で催されたもので、横綱土俵入りは大錦。

「航空船にて復興の帝都へ」では霞ヶ浦の海軍飛行場から上野、神田、丸ノ内、淀橋浄水場、日本橋、三越、両国被服廠跡、浅草を空から臨んでいる。

昔の競技(37分・16mm・無声・白黒)
'22(文部省)
關東大震大火實況(63分・35mm・無声・白黒)
'23(文部省社会教育課=東京シネマ商会)(撮)白井茂
航空船にて復興の帝都へ(10分・ 16mm・無声・白黒)
'26(文部省)(撮)白井茂

A-3 2/12(水)3:00pm 2/27(木)6:30pm 3/21(金)3:00pm

青地忠三と横浜シネマ商会(計86分)

東京シネマ商会としばしば覇権を争った横浜シネマ商会(1923年創立)。「大氷海」は、その創立直後より青地忠三(1885~1970)によって手がけられた短篇文化映画シリーズ「アテナ・ライブラリー」の第50篇にあたる。横浜シネマ商会の評価を一躍高めたのは長篇記録映画の製作である。徐州攻略戦を記録した「聖戦」は、先駆的作品として成功をおさめた「海の生命線」(1933)以降、青地忠三が連作した大作のひとつであり、こうした作品の長尺化によって、実写映画の新たな可能性が示唆されることとなった。

大氷海(11分・16mm・無声・白黒)
'36頃(横浜シネマ商会)(撮)上野行清,嵯峨十藏(編)青地忠三
汽車の発達(10分・16mm・白黒)
製作年不詳(横浜シネマ商会)(撮)飯田光治(編)青地忠三
聖戦(65分・35mm・白黒)
'38(大阪毎日新聞社=東京日日新聞社=横浜シネマ商会)(監)(輯)青地忠三(撮)上野行清(音)大原裕

A-4 2/12(水)6:30pm 2/27(木)3:00pm 3/29(土)1:00pm

ヘンリー小谷と大洞元吾(計52分)

松竹キネマの創立時にハリウッドから招かれ、日本映画の近代化に大きな役割を果たしたヘンリー小谷(1887~1972)。やはりMパテー商会以来の日本映画草創期に活躍した大洞元吾(1889~1975)。映画史に記述されることの稀な、初期の偉大なカメラマンたちのその後の活動をうかがうことができるだろう(櫻映画社は大洞元吾が主宰したプロダクション)。パラマウント・ニュースとの提携が知られているヘンリー小谷であるが、当時の業界内ではやはり最高の位に君臨していたようだ。「そのころのニュース撮影班には不文律な序列があって、一番がヘンリー小谷、二番が田中欽之(……)というようにカメラの位置が決められていた」(田中純一郎)という。

戰禍の濟南(7分・16mm・無声・白黒)
'28(林商会活動写真部)(指揮)ヘンリー小谷(撮)田口修治,森田三郎(編)殿木眞
青年日本(23分・16mm・無声・白黒)
'32(櫻映画社)(撮)大洞元吾
婦人の國防(11分・16mm・無声・白黒)
'32(大日本国防婦人会関西本部)(撮)大洞元吾
軍犬物語(11分・16mm・白黒)
'39(日伊文化協会=国際協和会映画部)(構成)(撮)ヘンリー小谷(編)森江章浩(音)西垣鉄雄

A-5 2/13(木)3:00pm 2/28(金)6:30pm 3/22(土)1:00pm

鈴木重吉(計67分)

国防の啓蒙を目的として製作された初期の国策映画群。手がけたのは傾向映画の代表作「何が彼女をそうさせたか」(1930)や鈴木伝明主演作品の監督として知られる鈴木重吉(1900~1976)。「三月十日」と「護れ大空」は、当時「編集映画」なるジャンルを提唱した鈴木重吉が主に既存のフィルム・ストックを活用して作り上げた意欲的な作品でもある。時局・軍事映画が急増つつあった当時の様子がうかがわれると同時に、文化・記録映画の分野で次第に作家性が確立されてゆく過程に現われた、極めて興味深い試みを見ることができる。

三月十日(30分・35mm・白黒)
'33(陸軍省新聞班)(監)(編)鈴木重吉(音)辻順治
護れ大空(25分・16mm・白黒)
'33(東京朝日新聞社)(編)鈴木重吉(音)辻順治
日本人の生活シリーズ 国防日本(12分・35mm・白黒)
'37頃(東亜発声ニュース映画製作所)(監)鈴木重吉(音)山田耕筰

A-6 2/13(木)6:30pm 2/28(金)3:00pm 

円谷英二[1](86分)

後に特殊効果のパイオニアとして国際的に知られることになる円谷英二(1901~1970)が手がけた長篇記録映画。1935年2月に横須賀港を出航してインドシナ、マレー、ハワイ、南洋諸島を一循する海軍練習艦隊「浅間」、「八雲」の2艦に同行し、練習生の艦上生活をスケッチしつつ、寄港先の国々の民情風俗を紹介している。愛国志士を以て任じた太泰発声映画社長・池永浩久によって海軍少尉武富邦義や青地忠三が迎えられ、国防国策映画として構成された。

赤道越えて(86分・35mm・白黒)
'35(太秦発声映画=横浜シネマ商会)(構)(監)(撮)円谷英二(編)(解)青地忠三(音)飯田信夫

A-7 2/14(金)3:00pm 3/1(土)4:00pm

円谷英二[2](73分)

山口県出身の皇道史家、三浦耕作の原案による。皇室中心の国体意識を宣揚する目的で製作された。元来講演を得意とした三浦が自らの原文の朗読を行なったうえで、それに見合った映像を撮影して編集されたと言われる。

皇道日本(73分・35mm・白黒)
'39(東宝国策映画協会)(構)青木泰介(撮)(編)円谷英二(音)飯田信夫(解)足立蘆光

A-8 2/14(金)6:30pm 3/1(土)1:00pm 3/26(水)3:00pm

十字屋映画部[1]:太田仁吉と鈴木喜代治 (計83分)

十字屋映画部が本格的な教材映画の製作に着手したのは1934年。「通俗科学映画全集」、「理科映画体系」と名付けられたこのシリーズの製作は、およそ6年間にわたって継続され、一時"十字屋時代"と呼ばれるほどの活況を呈した。ウーファの文化映画(Kulturfilm)やイーストマン・コダック社の「理科教材映画シリーズ」から影響を受けたといわれるスタイルのもとに、科学映画の基礎を築いた主要な人材を輩出している。その始祖ともいうべき太田仁吉(1893~1954)は身近な現象を相手に種々の題材を開拓し、ほとんどの作品でコンビを組んだカメラマン・鈴木喜代治とともに技術上の挑戦を繰り返した。

蝉の一生(10分・16mm・無声・白黒)
'36(十六ミリ映画教育普及会)
活魚列車(13分・16mm・白黒)
'40(十字屋文化映画部)(構)滋野辰彦(監修)太田仁吉(撮)丸子幸一郎(解)村上済州
卵は語る(18分・35mm・白黒)
'47(東宝教育映画=日本映画社)(監)太田仁吉(脚)時岡茂秀(撮)小林米作,丸子幸一郎
あげはちょう(21分・35mm・白黒)
'49(日本映画社)(監)太田仁吉(脚)吉見泰(撮)鈴木喜代治(音)鈴木林藏
いねの一生(21分・35mm・白黒)
'50(日本映画社)(監)(脚)太田仁吉,樺島清一(撮)鈴木喜代治,後藤義彦(音)鈴木林藏

A-9 2/15(土)1:00pm 3/4(火)6:30pm 3/21(金)6:30pm

十字屋映画部[2]:奥山大六郎と小林米作 (計69分)

コンビで数々の傑作を発表した奥山大六郎(1917~1981)と小林米作(1905~)。十字屋映画部から育ったプロフェッショナルの代表作を上映する。ミクロ撮影の第一人者として知られるカメラマン小林米作は、顕微鏡映画の秀作で国際的にも評価された東京シネマを支えていくことになる。「マリン・スノー」で彼と組んだ野田真吉は、その顕微鏡撮影がときにたたえる不思議な魅力を「現代絵画などにみられる具象を超えた抽象的な美、即物的記録であって記録を絶する幻想的な美」と表現している。

細菌物語-病源体篇-(16分・16mm・白黒)
'41(十字屋文化映画部)(構)奥山大六郎,村上良哉(撮)鈴木喜代治(音)百瀬暎一
魚の愛情(18分・35mm・白黒)
'47(日本映画社)(監)(脚)奥山大六郎(原)太田仁吉(撮)八幡治夫(音)鈴木林藏
細菌物語-生への鬪い-(18分・35mm・白黒)
'50(日本映画社)(監)奥山大六郎,谷口豊一(脚)桑野茂(撮)小林米作(音)鈴木林藏
マリン・スノー-石油の起源-(17分・35mm・カラー)
'60(東京シネマ)(監)野田真吉,大沼鉄郎(脚)吉見泰(撮)小林米作(音)間宮芳生(解)高島陽

A-10 2/15(土)4:00pm 3/4(火)3:00pm 3/25(火)6:30pm

芥川光蔵と満鉄映画製作所(計92分)

占領地におけるプロパガンダ映画の枠にありながら満州(中国東北部)の大地とそこに暮らす人々の生活を叙情的にとらえ、そのユニークな創作活動が国内の映画ジャーナリズムを驚嘆させた異色の映画作家・芥川光蔵(1884~1941)。「草原バルガ」や初期のズーム・レンズを用いた「娘々廟會」といった代表作にみられる独特な空間意識は、「風景の耽美者」(滋野辰彦)とも評された彼の資質を余すことなく伝えている。商事会社に勤めるかたわら映画評を投稿するアマチュア映画作家だった芥川が満鉄に招かれてから '41年に急逝するまでの間に手がけた作品は50本以上にのぼると言われる。

建国の春(17分・16mm・無声・白黒)
'32(満鉄弘報係)(構)芥川光蔵(撮)早川弘二
開拓突撃隊 鐵道自警村移民記録(33分・16mm・白黒)
'36(満鉄映画製作所)
草原バルガ(22分・35mm・サウンド版・白黒)
'36(満鉄弘報係)(撮)早川弘二
娘々廟會(20分・35mm・白黒)
'40(満鉄映画製作所)(撮)藤井靜(編)芥川光藏(音)太田忠

A-11 2/18(火)3:00pm 3/5(水)6:30pm 3/22(土)4:00pm

芸術映画社[1]:石本統吉と井上莞(計92分)

ポール・ローサやルドルフ・アルンハイムの映画論に触発され、研究誌「文化映畫研究」を刊行するなど先鋭的な製作集団を構成し、次々と問題作を発表した芸術映画社(略称GES[ゲス]・1935年創立)の作家たち。積雪地方の農村に取材した石本統吉(1907~1977)の「雪国」は、<ソシアル・ドキュメント>とも呼ばれるスタイルを確立したと評価された画期的な作品。この作品の撮影に参加している井上莞(1912~)が発表した海軍予科練習生の訓練の記録「空の少年兵」は、当時の航空撮影を極めて高度な水準にまで引き上げた。当時この作品を見た多くの少年たちが予科練入隊を志願したと言われる。以来、井上は航空撮影の第一人者として活躍する。

雪国(38分・16mm・白黒)
'39(芸術映画社)(監)石本統吉(撮)橋本竜雄,井上莞,竜神孝正,黒瀬進,成田勉(解)小山良夫
空の少年兵(37分・16mm・白黒)
'41(芸術映画社)(撮)(編)井上莞
航空体育(17分・16mm・白黒)
'45(朝日映画社)(監)(撮)井上莞

A-12 2/18(火)6:30pm 3/5(水)3:00pm 3/26(水)6:30pm

芸術映画社(2):厚木たかと水木荘也(計91分)

ポール・ローサによるドキュメンタリー映画理論の翻訳者としても知られる厚木たか(1907~)。「或る保姆の記録」は入念に取材された彼女の脚本をもとに、学齢前児童の集団教育を試みる私立保育所を描いている。登場する保母たちには母親や子供たちの会話や行動を誘導する役割が課されていたといわれ、周到に準備された環境の中に人物を投げ込むこのような方法は、それまでの映画には見られない斬新なリアリティを獲得することに成功した。「まったく、これだけの実感がマイクとキャメラとライトの集中のなかに出せるといふことは我邦の現状では私は予期してゐなかったのである」(飯田心美)。芸術映画社が輩出した個性豊かな作家の一人、水木荘也(1910~)が主唱した"スナップ主義"も論議を呼び、様々に解釈された。

南支経済(38分・16mm・白黒)
'40(中華映画=芸術映画社)
或る保姆の記録(35分・16mm・白黒)
'41(GES科学映画社)(構)厚木たか(監)水木荘也(撮)橋本龍雄,龍神孝正,(音)深井史郎
わたし達はこんなに働いてゐる(18分・16mm・白黒)
'45(朝日映画社)(監)水木荘也(脚)厚木たか(撮)小西昌三

A-13 2/19(水)3:00pm 3/6(木)6:30pm

下村兼史と理研科学映画(計74分)

望遠レンズを駆使して鳥や小動物の生態を観察した作品で知られる下村兼史(1903~1967)。新たな分野を開拓して理研科学映画(1938年創立)の基盤を確立した第1回作品「水鳥の生活」をはじめ、古典となった作品の数々も、ナレーションやタイトルに見られる独特な語りなど、時に新鮮な驚きに満ちている。遠浅の干潟に出没する様々な生物をユーモラスに描いた「或日の干潟」で、ハヤブサが登場する終盤に収録された飛行機の爆音は、その解釈をめぐって論議を呼んだ。学術的にも話題となった「慈悲心鳥」は、他の野鳥の巣に卵を産みつけるホトトギス科の托卵を観察することに成功した労作。

水鳥の生活-第一輯-(16分・16mm・白黒)
'39(理研科学映画)(監)(輯)下村兼史
或日の干潟(14分・35mm・白黒)
'40(理研科学映画)(監)(輯)下村兼史
慈悲心鳥(15分・35mm・白黒)
'42(理研科学映画)(監)(脚)下村兼史(撮)佐野時雄(音)池ケ谷一郎
こんこん鳥物語(29分・35mm・白黒)
'49(東宝教育映画)(監)(脚)下村兼史(撮)村上喜久男(音)柴田南雄

A-14 2/19(水)6:30pm 3/6(木)3:00pm

亀井文夫[1](計95分)

文化・記録映画の「巨匠」亀井文夫(1908~1987)。東京電燈(株)創立50周年記念作品として製作された監督第1作「姿なき姿」と、戦前上映禁止処分を受けた代表作「戰ふ兵隊」を上映する。前者で亀井は、雪深い上越国境に送電線を運ぶ労働の過酷さを強調するために、保線夫が雪崩の犠牲になるラストシーンをあえて加えている。

姿なき姿(29分・16mm・白黒)
'36(写真化学研究所)(編)亀井文夫(音)深井史郎
戰ふ兵隊(66分・35mm・白黒)
'40(東宝文化映画部)(監)(編)亀井文夫(撮)三木茂(音)古関裕而

A-15 2/20(木)3:00pm 3/7(金)6:30pm 3/27(木)3:00pm

亀井文夫[2](計76分)

この作品は1945年8月に完成したが、その直後に終戦となったためこれまで一度も公開されることがなかった「幻のフィルム」である。製作の発注元は中島飛行機で舞台は自社の半田工場(愛知県)、電通映画社が製作を請け負った。原作者、亀井文夫も現地ロケに参加し、中心的役割を果たしていたという。内容としては、徴用工と一般工の対立を描きつつ、戦意と生産意欲の向上を訴えたものである。このフィルムを長く保存していたのは、当時半田工場の製造部長であった藤森正巳氏(出演場面もある)で、戦後、中島飛行機が財閥解体で解体した後、1946年頃に個人で購入したものである(遺族から御寄贈を受けた可燃性フィルムから復元した)。

制空(76分・35mm・白黒)
'45(電通映画社)(監)中川順夫,國木田三郎,大絛敬三(原)亀井文夫(撮)源佑介,宮西四郎,田中十三,渡辺令,千田勝男(編)大絛敬三

A-16 2/20(木)6:30pm 3/7(金)3:00pm

東宝文化映画部[1]:吉野馨治(計57分)

北海道大学・中谷宇吉郎博士の指導、吉野馨治(1906~1972)の撮影で、雪片の気象学的研究過程を解説した「雪の結晶」が製作されて学会から注目されたのは1939年(所蔵されているのは全2巻中前半のみ)。両者の協力関係は戦後、岩波映画の創立(1950年)に結びつくことになるが、そこで「雪の結晶」がリメイクされ、再度世界的水準を示した(たのしい科学シリーズNo.10)。「法隆寺」は建築や仏像、壁画などを丹念に写し取った美術映画の初期の秀作。静かな森に囲まれた五重塔、金堂、夢殿などを一望する全景を撮影するために高い櫓が組まれたという。

雪の結晶(6分・35mm・白黒)
'39(東宝映画)(撮)吉野馨治
雪の結晶(14分・16mm・白黒)
'53(岩波映画)
法隆寺(37分・16mm・白黒)
'43(日本映画社)(構)(監)下村健二、(撮)吉野馨治、(音)菅原明朗

A-17 2/21(金)3:00pm 3/8(土)4:00pm

東宝文化映画部[2]:三木茂(計107分)

溝口健二「瀧の白糸」や伊丹万作「忠次売出す」の撮影者として知られる三木茂(1905~1978)は、1936年6月19日の北海道皆既日食を克明に捉えた「黒い太陽」以降劇映画を離れ、「上海」や「戰ふ兵隊」を撮影、亀井文夫とともに文化映画の新境地を開いた。当時、亀井文夫と三木茂との間で長期的な論争が交されて波紋を呼んでいる。こうしたエピソードも、創造の主体性が模索されつつあった文化映画をめぐる当時の意識の高まりを物語っていよう。

黒い太陽(19分・16mm・白黒)
'36(朝日新聞社)(撮)(編)三木茂,林田重雄
雅楽(11分・35mm・白黒)
'39(東宝文化映画部)
支那事変後方記録 上海(77分・16mm・白黒)
'38(東宝文化映画部)(撮)三木茂(編)亀井文夫(音)飯田信夫(解)松井翠声

A-18 2/21(金)6:30pm 3/8(土)1:00pm 3/28(金)3:00pm

東宝文化映画部[3]:秋元憲(計69分)

「金甌無欠揺ぎなき」と「愛国行進曲」に謳われた霊峰・富士山に地質学的なな分析を加え、変容を続ける老衰期の休火山であることを説いた「富士の地質」は当時の精神主義のなかで異色作となったと言われる。脚本は治安維持法違反被疑で検挙される直前の亀井文夫によって書かれた(ラストが欠落している)。「怒涛を蹴って」で成功をおさめた東宝文化映画部は、「上海」、「南京」、「北京」と、大陸における戦果を伝える長篇記録映画を立て続けに製作して興隆を迎える。今回上映される「南京」は'95年に中国で発見された、現在のところ、最も長尺のバージョンである。

富士の地質(11分・35mm・白黒)
'40(東宝映画)(監)秋元憲(撮)八木仁平(音)深井史郎(解)徳川夢声
南京(58分・35mm・白黒)
'38(東宝文化映画部)(撮)白井茂(編)秋元憲(音)江文也(解)徳川夢声

A-19 2/22(土)1:00pm 3/18(火)6:30pm 3/28(金)6:30pm

“日本紹介”映画(計67分)

日本文化の海外への紹介は戦前にも幾度か真剣に試みられたが、そこに描かれた日本の姿はしばしば物議をかもした。当時の代表的な観光映画である川口政一の「日本瞥見」とともに、国辱映画と呼ばれた「現代日本」を上映する。「現代日本」は本来「田園」「子供」「婦人」「都会」「娯楽」「産業」「国防」「教育」「スポーツ」の各篇を鈴木重吉と洋画家の藤田嗣治が分担して監督にあたったものだが、所蔵されているのは「子供篇」のみ。

日本瞥見[英語版](11分・16mm・白黒・日本語字幕無し)
'36(東宝映画文化映画部)
東京シンフォニー[英語版](23分・35mm・白黒・日本語字幕無し)
製作年不詳(国際観光協会)
現代日本 子供篇(8分・35mm・白黒・日本語字幕無し)
'37(東亜発声ニュース映画製作所)(監)藤田嗣治(音)小松平五郎
百錬日本刀(12分・35mm・白黒)
'40(東宝文化映画部)(監)荻原耐(撮)玉井正夫
日本の建築[仏語版](13分・35mm・白黒・日本語字幕無し)
'37頃(国際文化振興会)(監)三村明

A-20 2/22(土)4:00pm 3/18(火)3:00pm 3/29(土)4:00pm

劇映画の作家・会社と文化映画(計103分)

国際文化振興会の委嘱によって六代目尾上菊五郎の舞踊を記録した「鏡獅子」(小津安二郎)、朝鮮総督府鉄道局の依頼で製作された国策映画「京城」(清水宏)など劇映画の監督、スタッフも文化映画を手がけている。また、「病院船」は新興キネマが大泉撮影所内に設立した東京文化映画製作所の、「水」は日活多摩川撮影所による珍しい作品。映画法の制定に基づく文化映画の指定(強制)上映(1940年に実施)は、ドラマ製作を主としていた既成の映画会社にも番組編成上の対応を迫っていくことになる。

水(18分・35mm・白黒)
'36(大日本映画協会)(監修)内田吐夢(監)水ヶ江龍一(撮)篠原菊治
鏡獅子[英語版](25分・16mm・白黒・日本語字幕無し)
'36(松竹キネマ)(監)小津安二郎(撮)茂原英雄
京城(24分・35mm・サウンド版・白黒)
'40(大日本文化映画製作所)(監)清水宏(撮)厚田雄治(編)浜村義康(音)伊藤宣二
病院船(36分・35mm・白黒)
'40(東京文化映画製作所)(監修)六車修(構)今村貞雄(原)大嶽康子(脚)陶山密(撮)青島順一郎(音)中川榮三

A-21 2/25(火)3:00pm 3/19(水)6:30pm 3/25(火)3:00pm

同盟通信社:桑野茂と岩佐氏寿(計91分)

敗戦により株式会社に改組した日本映画社で、「日本ニュース」の企画編集を担当した桑野茂(1912~1977)と岩佐氏寿(1911~1978)。ともに同盟通信社(1936年発足)のニュース映画から出発し、戦後ニュース映画のスタイル確立に貢献した二人だが、記録映画に対する姿勢の対立を表面化させた「ひとりの母の記録」をめぐる論争は有名である。長野県の一農家の主婦の困難な生活を描いたこの作品に登場する家族は、異なる農家から選ばれた「素人俳優」によって構成されたという。こうした「再現」の可否をめぐる議論は、同時期にジャーナリズムを賑わした映画評論家・今村太平と岩崎昶の記録映画論争とともに、あらためて記録映画のアイデンティティについての考察を促した。

上海戦記(20分・35mm・白黒)
'37(同盟通信社)(製作責任)田中喜次(構)藤井信次郎,桑野茂(編)中村正(音)野川番文
カメラの描く昭和十三年史 東亜の動き(10分・16mm・白黒)
'39(同盟通信社)(編)桑野茂
東京裁判 世紀の判決(17分・35mm・白黒)
'48(日本映画社=新世界映画社=理研映画)(製作責任)桑野茂(構)(編)松村清四郎,吉見泰,伊勢長之助(撮)藤波次郎他
同盟映画月報 近代戰の華!戰車物語(7分・35mm・白黒)
'39頃(同盟通信社)(構)岩佐氏壽(撮)八住紫朗
ひとりの母の記録(37分・16mm・白黒)
'55(岩波映画)(監)京極高英(脚)岩佐氏寿(撮)加藤和三

A-22 2/25(火)6:30pm 3/19(水)3:00pm 3/27(木)6:30pm

戦争を写したカメラマン(計82分)

「學徒出陣」は、1943年10月21日に神宮外苑競技場で行われた、東京地方77校の学徒による出陣壮行大会の記録。行進とメインスタンドの女子学生を同時に収めたカメラ・アングルは、学徒の行進から足下へ、そして水たまりへとパン・ダウンする長廻しとともに語りつがれている。「マレー戦記」で、イギリス軍司令官パーシバルに「ノーか、イエスか」と迫る山下泰文-ここでは二人の態度の対比を誇張して会見の模様を伝説化した遅速度撮影を見ることができる。一説には露光不足を補うためだったとも言われるこの操作について、「実際の会談の模様では、会話のテンポなどが非常にのろいので、私は咄嗟の考えから、カメラの廻転速度を落して撮影してみた。ところが、それが結果の上では、山下将軍と敵将パーシバルとの、その場合の位置や人柄などの特徴が一層ハッキリ現われて成功だったと思っています」という撮影者・亀山松太郎の言が残されている。

學徒出陣(15分・16mm・白黒)
'43(文部省)(撮)林田重男
マレー戦記 進撃の記録(67分・35mm・白黒)
'42(山下兵団報道班=日本映画社)(構)飯田心美(撮)(編)亀山松太郎(音)深井史郎(解)前田晃

■(構)=構成 (監)=監督・演出 (原)=原作 (脚)=脚本・脚色 (撮)=撮影 (編)=編輯・編集 (音)=音楽 (解)=解説

■本特集には不完全なプリントが多く含まれています。

■記載した上映分数は、当日のものと多少異なることがあります。