本年は、日本映画の黄金期を代表する巨匠であるだけでなく、テレビドラマの分野においても重要な貢献を果たした木下惠介監督(1912-1998)の生誕百年を記念する年にあたります。1933年に松竹蒲田撮影所に入社した木下は、現像・撮影パートや助監督を経て、1943年に監督第1作『花咲く港』を撮り、高い評価を受けます。以後、戦後から昭和の終わりまで、数々の名作映画を世に送り出す傍ら、テレビの世界にもいち早く進出し、多くの作品で制作・監修や演出・脚本などを務めました。
本企画は、木下の野心的な喜劇映画作品に加え、現在見る機会が少ないテレビドラマ・シリーズ枠「木下恵介アワー」(木下恵介劇場)とテレビアニメ・シリーズ「赤い鳥のこころ」を上映し、木下の忘れられた/知られざる魅力を再発見する試みです。
皆様のご来場をお待ち申し上げます。
◆木下喜劇と木下恵介アワー
「木下恵介アワー」(当初のタイトルは「木下恵介劇場」)は、1964年10月27日から1974年9月25日まで、TBS系列で毎週火曜日(のちに水曜日に変更)に放映された、30分のテレビドラマ・シリーズ枠。制作の中心は、木下と博報堂、TBS(当時は東京放送)が共同出資して設立した木下恵介プロダクションで、「喜びも悲しみも幾歳月」(1965)以降は松竹が共同制作。
◆赤い鳥のこころ 日本名作童話シリーズ
「赤い鳥のこころ 日本名作童話シリーズ」は、1979年2月5日から7月30日まで、テレビ朝日系列で毎週月曜日に放映された、30分のテレビアニメ・シリーズ。木下は全体の監修を行い、弟の木下忠司・関根光致子夫妻のプロダクション・K&Sが制作。アニメーション製作はシンエイ動画。1970年代にファミリー層の支持を集めた「アルプスの少女ハイジ」(1974)や「まんが日本昔ばなし」(1975-1994)といった、いわゆる名作アニメ・シリーズの流れの中にあるもので、各話の原作は大正期に創刊された児童文学雑誌「赤い鳥」(1918-1936)を始めとする童話から採られている。
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「NFCカレンダー」2012年10月号