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大ホール

発掘された映画たち2009

Cinema: Lost and Found 2009
2009.4.21-5.3
作品詳細
A-12 4/26(日) 4:00pm 5/1(金) 3:00pm  
南湖院コレクション
(計103分)

医師でキリスト教徒であった髙田畊安が、1899年に神奈川県・茅ヶ崎に設立した結核療養所・南湖院。太平洋戦争末期に軍に接収されるまで、多くの文人が入院したことでも知られる本院では、毎週土曜日に映画会が催され、地域住民との交流の場になっていたという。昨年、畊安の直孫・髙田準三氏より寄贈された、南湖院の祭事を記録した映画など60本余りの可燃性フィルムのなかから、復元した成果を紹介する。

※「南湖院コレクション」の一部作品の上映分数が、下記の通り変更となります。これに伴い、プログラム全体の合計分数は、92分から103分に変更となります。ご了承ください。

「栄光の日は来る」 23分→25分
「第三十回醫王祭十二月二十五日」 15分→16分
「大震災以前 帝都の壯觀」 12分→16分
「大禮記念 国産振興東京博覧会」 13分→14分
「輝やく大東京」 12分→15分

社会教育映画 我等の運命
(12分・16fps・35mm・無声・染色)

飲酒が家計や国家財政を圧迫している事実を、さまざまな数字を挙げて暴き出すとともに、身体に及ぼす致命的な害毒を、アニメーションを交えて説く禁酒奨励映画。大正年間に禁酒運動家として活躍した成瀬才吉の原案を基に、大阪市西成に拠点を置いていた藤谷教育映画が製作・撮影を行った。

’20年代前半(藤谷プロダクション)(原)成瀬才吉

栄光の日は来る
(25分・15fps・35mm・無声・白黒)

玉突屋の看板娘・君子の一家を突如襲った結核の病魔に、青年篤志家の救いの手が…。疫学の先駆者として結核予防に貢献した佐藤正の原作を、当時内務省衛生局の外郭団体だった日本結核予防協会が映画化した。

’31(日本キネマ)(監)(脚)原田武造(原)佐藤正

第三十回醫王祭 十二月二十五日
(16分・15fps・35mm・無声・一部染色)

髙田畊安は、イエスと神武天皇を同一視する独自の世界観のもと、イエスを「醫王」と見なし、毎年12月25日には患者家族や地域住民を招いて、盛大な祭事を催していた。本作は1930年に行われた祭事の記録で、冒頭茅ヶ崎の海岸に面した南湖院の広大な敷地から見晴らす富士の姿が美しい。

’30

大震災以前 帝都の壯觀
(16分・16fps・35mm・無声・一部染色)

万世橋駅前、銀座・日本橋界隈、三社祭など、震災前の各所の賑わいを映像に留めた東京案内。八千代生命保険による企画もので、浅草六区の小屋に立つ幟から、撮影は震災から遠くない時期に行われたものと思われる。

’25(東亜キネマ)

長への御幸をまつ 夛摩御陵道
(5分・16fps・35mm・無声・白黒)

多摩御陵(現・武蔵野御陵)は、1927年に建設された大正天皇陵。当時の道路敷設に係る労働の様子が、事細かに記録されている。東京府が検閲申請し、同年2月21日に通過した『多摩御陵参道工事實況』と同一作品かもしれない。

’27

大禮記念 国産振興東京博覧会
(14分・16fps・35mm・無声・白黒)

東京商工会議所主催により、1928年3月24日から5月22日まで、上野公園にて開催された博覧会の記録。開会式、閑院宮の各館巡覧から始まり、見世物小屋と化した巨大なパビリオンが次々と紹介される。

’28(東京映画社)

輝やく大東京
(15分・16fps・35mm・無声・染色)

1930年3月24日に行われた昭和天皇による復興帝都巡幸の記録。撮影としてクレジットされている大日本教育映画協会は、『帝都復興』の製作にも名を連ね、『帝都復興』「御巡幸編」、『天皇陛下復興帝都御巡幸』とも同じカットが多数使われているが、映画利用に積極的だったという昭和天皇の若き姿を、間近に見ることができる。

’30(東京市教育局社会教育課)(撮)大日本教育映画協會

■(監)=監督 (脚)=脚本・作 (撮)=撮影 (美)=美術・装置 (音)=音楽 (出)=出演
■スタッフ、キャストの人名は原則として公開当時の表記を記載しています。
■記載した上映分数は、当日のものと多少異なることがあります。
■特集には不完全なプリントが含まれていることがあります。
■各プログラム中の上映順序は変更になる場合があります。

Calendar 上映・展示カレンダー
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The National Museum of Modern Art, Tokyo