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大ホール上映作品

発掘された映画たち2005
Cinema: Lost and Found 2005

7月19日(火) - 8月18日(木)→上映スケジュール

開映後の入場はできません

定員=310名(各回入替制)
発券=2階受付
料金=一般500円/高校・大学生・シニア300円/小・中学生100円
・観覧券は当日・当該回にのみ有効です。
・発券・開場は開映の30分前から行い、定員に達し次第締切となります。
・シニア(65歳以上)の方は、必ず年齢を証明できるものをご提示ください。

 失われた映画フィルムの発掘と復元を主要な任務のひとつとするフィルムセンターは、近年あらたに収蔵したフィルムを上映する企画「発掘された映画たち2005」を開催いたします。本企画「発掘された映画たち」は、1991年から数えて第5回目にあたり、文化遺産としての映画の価値を再認識する重要な機会として認知されてきました。今回の上映作品は、1906年のフランス・パテ社が撮影した美しい染調色フィルム『保津川の急流』から、1958年の17世中村勘三郎が主演した『赤い陣羽織』までの約50年間、全56作品にわたっています。

 海外からの里帰りフィルムとして、ロシアのゴスフィルモフォンドが収蔵していた戦前・戦中期の日本映画のさらなる発掘作品(17作品)に加え、今回は中国、ドイツ、オーストリア、フィンランドなど世界各国のフィルムアーカイヴで発見された珍しい映画の数々も上映いたします。

 さらに、近年フィルムセンターは最新のデジタル技術を用いて劣化したフィルムの復元を行っており、今回はその成果として、伊丹万作監督によるナンセンス時代劇の傑作『國士無双』(1932年)、溝口健二監督のサイレント期の代表作のひとつ『瀧の白糸』(1933年)、そして溝口健二監督のカラー作品『新・平家物語』(1955年)の3作品を上映します。

 1895年の誕生から百年を超えた映画には、まだまだ埋もれた歴史がたくさんあります。本企画は普段なかなか見ることのできない過去の豊穣な映画文化――映画遺産――を堪能できるまたとない機会になることは間違いありません。

■(監)=監督・演出 (原)=原作・原案 (脚)=脚本・潤色・劇化・脚色 (撮)=撮影 (美)=美術・設計・美術監督 (音)=音楽・作曲 (出)=出演、吹替

■本特集には不完全なプリントが含まれています。

■作品により上映時間が異なりますのでご注意ください。

■記載した上映分数は、当日のものと多少異なることがあります。

=ゴスフィルモフォンドで発見された作品

1 7/19(火)3:00pm 8/6(土)4:00pm

保津川の急流(4分・16fps・35mm・染調色・無声)

映画史の初期に無数に製作された紀行映画(トラヴェローグ)としては、「明治の日本」と総称される作品群などリュミエール社製がよく知られるが、これはパテ社による1本。保津川の川下りを舟上から撮影したもので、青の染色と緑の調色のコンビネーションが美しい。(素材提供:フィルムアルヒーフ・オーストリア、復元作業:ハーゲフィルム)

’06(パテ)

天地創造の映画劇(13分・16fps・35mm・染色・無声)

宗教団体「エホバの証人」の布教活動の一環として上映されたフィルム。1914年にフィンランドで上映された記録があるが、撮影は1910年以前と考えられ、中国やインドに混ざって日本で撮影された映像が含まれている。(素材提供:フィンランド・フィルムアーカイヴ、復元作業:フィンラボ)

’10頃(パテ)

小林富次郎葬儀(7分・16fps・35mm・白黒・無声)

ライオン株式会社(旧小林商店)の創業者・小林富次郎(1852-1910)の葬儀の模様を映した映像。可燃性オリジナル・ネガと当時上映に使われたポジプリント各1本が、日本最古の映画製作会社のひとつである吉沢商店の納品書とともに桐箱に入って保管されていた。確認される限り、現存するわが国最古のオリジナル・ネガである。今回上映するフィルムはこのオリジナル・ネガから直接プリントしたもので、95年前に撮影された映像の驚くべきクオリティに圧倒される。(素材提供:ライオン株式会社、復元作業:IMAGICAウェスト)

’10(吉沢商店)

大阪倉庫の爆發(5分・16fps・35mm・染色・無声・不完全)

タイトル・クレジットが欠落しているが、1917年5月5日に発生した大阪安治川沿岸の倉庫の爆発火災の様子を写した映像と考えられる。赤や黄色の染色が火災の映像に臨場感を与えている。(素材提供:プラネット映画資料図書館、復元作業:IMAGICAウェスト)

’17(天活大阪)

関東大震災実況(18分・16fps・35mm・染色・無声・不完全)

関東大震災発生直後の映像としては、東京シネマ商会版と日活版の2本が「決死的映像」として名高いが、これまで現存しないと考えられていた後者が、一部ではあるが山形の映画館で発見された。日本橋、京橋、浅草、本所被服廠跡、蔵前、安田邸などの様子が赤や青の染色映像で鮮明に映し出される。撮影済みのフィルムを携えた高坂は9月7日に京都の日活大将軍撮影所へ到着してフィルムを現像し、即日京都帝国館で公開したという。本プリントには部分的に重複するショットや字体の異なる字幕が見られ、兵阪新聞社『東京関東地方大震災惨害實況』など別作品の混入が確認されるが、今回はそのまま上映する。(素材提供:プラネット映画資料図書館、復元作業:IMAGICAウェスト)

’23(日活向島)(撮)高阪利光、伊佐山三郎

鏡 SPIEGEL(16分・35mm・白黒・日本語字幕付)

3度にわたる渡欧の中でフルトヴェングラーやヒンデミットに師事し、ヴァイオリン奏者・作曲家として近年評価が高まる一方の夭折の音楽家、貴志康一(1909-1937)。彼が一時期映画に傾けた情熱を物語る2作品が、このたびドイツより里帰りを果たした。貴志は1931年に貴志学術映画研究所を設立し、美学者の中井正一らとともに前衛的な3本の作品を日本で撮影、そのフィルムを携えて33年にベルリンを訪れた。このうちの1本『第四作品』がウーファに買い取られ、貴志が自ら監督・音楽監督に着任。在ドイツのオペラ歌手・湯浅初枝が出演するシーンを撮り足し、ドイツ語ナレーションと音楽を加えてトーキー文化映画としてドイツで公開した。日本文化を紹介する内容に作り変えられてはいるが、魚眼レンズや多重露光を用いた部分などに、前衛映画としての片鱗をうかがうことができる。(素材提供:ドイツ連邦アーカイヴ、復元作業:ハーゲフィルム)

’33(ウーファ・貴志学術映画研究所)(監)(音)貴志康一(製)ニコラウス・カウフマン(脚)ヴィルヘルム・プラガー(解)ヴィルヘルム・マルテン(出)湯浅初枝

春 IM FRUHLING - EIN FILM VON JAPANISCHEN FRUHLINGSFESTEN(13分・35mm・白黒・日本語字幕付)

『鏡』の好評を受け、貴志が再び手持ちのフィルムに新たな映像を撮り足して作ったウーファ文化映画。春日大社祭、三船祭など、花々に彩られた日本の春祭を紹介する内容で、『鏡』には残されていた前衛映画としての性格はもはやほとんど見られないが、作曲家としての貴志の才能を確認する上で貴重な資料である。(素材提供:ドイツ連邦アーカイヴ、復元作業:ハーゲフィルム)

’34(ウーファ・貴志学術映画研究所)(監)(脚)(音)貴志康一(監)(脚)ヴィルヘルム・プラガー(製)ニコラウス・カウフマン(解)マルティン・ヤコプ(出)湯浅初枝

バンサ BEI DEN BANSA AUF BORNEO (17分・35mm・白黒・日本語字幕付)

1933年6月から8月にかけて、医学博士の小倉清太郎が、記録映画の名キャメラマンでのちに『黒い太陽』(1936年)や『カラコルム』(1956年)を撮影した林田重男等とともに、当時オランダ領であった西ボルネオ奥地のジャングルを探検してダイヤ族の風俗や習慣を撮影した作品。バンサとはダイヤ語で種族という意味。小倉清太郎は帰国後に『首狩人種の打診 ボルネオ探検記』を出版した。編集したのは傾向映画の代表作『何が彼女をそうさせたか』(1929年)の監督として知られる鈴木重吉。本作はその後あらたにドイツ人によって音楽、ナレーションが付され、ドイツ・ウーファ社の文化映画の一篇としてドイツで公開された版である。日本における映像人類学の古層を探ることのできる貴重な発見である。(素材提供:ドイツ連邦アーカイヴ、復元作業:ハーゲフィルム)

’34(東和商事映画部)(監)小倉清太郎(撮)林田重男、大森昌夫(編)鈴木重吉

2 7/19(火)7:00pm 8/6(土)1:00pm

武士道 BUSHIDO:DAS EISERNE GESETZ(84分・18fps・35mm・白黒・無声・日本語字幕付)

合作映画といえば伊丹万作とアーノルド・ファンク監督の『新しき土』(1937年)が有名であるが、本作は1924年から1925年にかけて日本で撮影され、1926年に日独両国で公開されたわが国初の本格的な国際合作映画。戦国時代の鉄砲伝来の物語をベースにしており、ハラキリとゲイシャをはじめ東洋のエキゾチシズムを喚起する映像やテーマが描かれる。本プリントはドイツで公開されたドイツ語字幕版であるため、ゴスフィルモフォンドにおいては日本映画ではなくドイツ映画として管理されていた。このたび国際フィルムアーカイヴ連盟(FIAF)のネットワークを通じて本フィルムの所在が判明し、収蔵に結びついた。

’25(東亜等持院=H・K・ハイラント・プロ)(監)ハインツ・カール・ハイラント、賀古残夢(脚)長野健太(撮)橋本佐一呂(出)明石潮、岡島艶子、カール・テティンク、ロー・ホール

3 7/20(水)3:00pm 8/7(日)4:00pm

國士無双[デジタル復元版](21分・18fps・35mm・白黒・無声・短縮版)

伊丹万作の代表作のひとつでナンセンス時代劇の傑作と呼ばれている本作については、これまで9.5mmのパテベビー版(全2巻)から復元した版を公開している。今回、パテベビー版の後半部分にあたる16mmの日活グラフ版(1巻)が映画評論家・梶田章氏から寄贈されたことを機に、ふたつの素材を合わせてあらたにデジタル復元を行なった。鮮明に甦った映像で本作品の魅力を改めて堪能していただきたい。なお、ふたつの素材はダイジェスト版としては同一であったため、あらたな場面が加わったわけではなく、パテベビー版の素材の劣化に由来する傷は今後の課題としていまだ数多く残っていることをお断りしておく。(素材提供:梶田章氏、プラネット映画資料図書館、復元作業:ハーゲフィルム)

’32(千恵プロ=日活)(監)伊丹万作(原)(脚)伊勢野重任(撮)石本秀雄(出)片岡千恵蔵、高勢実乗、瀬川路三郎、渥美秀一郎、伴淳三郎、山田五十鈴

瀧の白糸[画面分割版](3分・24fps・35mm・白黒・無声・断片)

瀧の白糸[部分デジタル版](102分・24fps・35mm・白黒・無声)

溝口健二監督のサイレント期の代表作のひとつである本作は、男性の立身出世と女性の自己犠牲を美しく描いた“新派もの”のひとつ。従来フィルムセンターが所蔵していた16mmプリントはラストシーンが欠落したヴァージョンであったが、近年異なる複数のヴァージョンのプリントから35mm版の「最長版」が作成された(「最長版」作成のプロセスは「NFCニューズレター」28号を参照)。今回は特に傷が激しく、鑑賞の妨げになっていた部分にデジタル復元をほどこしている。はじめにデジタル復元による映像クオリティの向上を確認していただくために、同じシーンにおける復元前と復元後の映像を、左右分割フレームで上映する(約3分間)。その後デジタル復元シーンを挿入した「最長版」を上映する。(復元作業:IMAGICA)

’33(入江ぷろだくしょん)(監)溝口健二(原)泉鏡花(脚)東坊城恭長(撮)三木茂(出)入江たか子、岡田時彦、菅井一郎、村田宏壽、見明凡太郎

4 7/20(水)7:00pm 8/7(日)1:00pm

新・平家物語[デジタル復元版](107分・35mm・カラー)

角川映画株式会社とフィルムセンターの共同プロジェクトとして、溝口健二が生涯に残した2本のカラー作品のうちの1本をデジタル復元した。今回の復元課題は、フィルムについた傷を除去するだけでなく、褪色したフィルムの色彩をいかに復元するかという点にあった。製作当時は洋画家・和田三造が色彩監修を担当したが、今回は当時撮影助手だった森田富士郎氏が色彩復元の監修にあたっている。平清盛の活躍と出生をめぐるドラマが、溝口監督と大映京都の一流スタッフ等によって華麗に描かれる。デジタル復元のプロセスと技術については「NFCニューズレター」59号を参照されたい。(復元作業:ハーゲフィルム)

’55(大映京都)(監)溝口健二(原)吉川英治(脚)依田義賢、成澤昌成、辻久一(撮)宮川一夫 (美)水谷浩(音)早坂文雄(出)市川雷蔵、久我美子、林成年、木暮実千代、進藤英太郎

5 7/21(木)3:00pm 8/13(土)4:00pm

月のかんさつ(8分・35mm・パートカラー)

小西六写真工業(現・コニカ)が独自に開発したコニカラー・システムが使用された作品は1953年から59年までの間にテスト作を含めて約60本に過ぎないが、本作はそのうちの1本。撮影には、3本の白黒ネガフィルムを装填する特殊なキャメラ(フィルムセンター7階展示室にて公開中)が用いられた。東映は1954年に教育映画部を設置し、本格的に学校教材用の映画製作に乗り出して教育界で高い信頼を得る。本作は月の満ち欠けや潮の満ち引きの自然現象を、実写と動画で解りやすく説明する学校教材映画。映画の結尾のみコニカラーの色彩映像になる。(復元作業:IMAGICA)

’55(東映教育映画部)(監)(脚)蔵田直八(撮)宮西良太郎

赤い陣羽織[コニカラー・オリジナル・プリント版](10分・35mm・カラー・断片)

赤い陣羽織(94分・35mm・カラー)

17世中村勘三郎(1909-1988) の初映画出演作で、木下順二の翻案戯曲を映画化したもの。勘三郎扮する代官が水車番の美しい人妻に惚れてしまい、奥方からたしなめられるという時代劇喜劇。コニカラー作品としては、フィルムセンターではこれまでに『緑はるかに』(1955年)の復元を行なっているが、本作品の3色分解ネガは収縮が激しく、復元に至っていなかった。今回、松竹株式会社と協力し、現在使われているカラー・フィルムを用いて当時の色彩を再現することに成功した。比較のため、1958年当時に作成されたポジプリントの断片を本篇の前に参考上映する。(復元作業:IMAGICA)

’58(歌舞伎座映画)(監)山本薩夫(原)木下順二(脚)髙岩肇(撮)前田実(美)久保一雄(音)大木正夫(出)中村勘三郎、有馬稲子、伊藤雄之助、香川京子、三島雅夫、多々良純、小松方正

6 7/21(木)7:00pm 8/14(日)1:00pm

日蓮上人 龍乃口法難(34分・16fps・35mm・白黒・無声)

ロシアで発見された日本映画のなかで最古の作品。無声期には日蓮を題材にした映画が多数作られているが、タイトル・クレジットの情報から1921年に浅草大勝館で封切られた国活版であると推測できる。クローサー・ショット、フェイドイン/アウト、アイリスなどが使用された分析的な編集は純映画劇運動以後の作品であることを感じさせる。

’21(国活巣鴨)(監)吉野二郎(監修)花井日秀居士(脚)桂田阿弥笠(撮)青嶋順一郎(出)市川莚十郎、澤村四郎五郎、澤村四若、中村駒三郎、片岡童十郎、市川升童、阪東佳玉

稲田の草庵(24分・16fps・35mm・染調色・無声)

1923年の「浄土眞宗立教開宗七百年」記念にちなんで製作された作品。牧野省三が日活から独立して設立した牧野教育映画の貴重な現存作品。妻が夫から浮気を疑われて斬られてしまうが信仰心が篤かったために助かるという筋と、山伏の弁円が板敷山で親鸞を暗殺しようとするも親鸞一行は姿をくらませて未遂に終わるという筋のふたつから成る。障子に映る人影や、二重露光を多用した追っかけ場面は“宗教映画”に収まらない映画的な面白さに満ちている。(素材提供:プラネット映画資料図書館、復元作業:IMAGICAウェスト)

’23(伊予津島仏教映画宣伝部=牧野教育映画)(監)沼田紅緑

母と子(22分・24fps・35mm・染色[一部白黒]・無声)

一部(白黒部分)がゴスフィルモフォンドで発見され、題名が確定できないままであったが、たまたま国内で別の一部(染色部分)が発見されたことで、ほぼオリジナルに近い長さが揃い、題名や製作年の特定にもつながった幸運な例である。母と盲目の兄との貧しい暮らしを助けるため、夜中に密かに内職をする健気な少女を描いた教育的美談。(素材提供:ゴスフィルモフォンド、プラネット映画資料図書館、復元作業:IMAGICAウェスト)

’26(社会教育映画研究所)(監)古林貞二(出)出雲美樹、久柗三岐

黎け行く村(29分・18fps・35mm・染色・無声)

1920年の松竹キネマ設立にあわせてアメリカから帰国し、日本に最新のハリウッドの製作スタイルを導入したヘンリー小谷(1887-1972)が1927年に監督した作品。疲弊した農村で父に先立たれた兄妹が、愛郷心を胸に農業による振興策を試みる。盆踊りの夜の青や炎の赤など染色フィルムの美しさを堪能できる。元になったプリントは広島市映像文化ライブラリーに寄贈された松田完一氏所蔵フィルムで、同ライブラリーの協力によって復元した。(素材提供:広島市映像文化ライブラリー、復元作業:IMAGICAウェスト)

’27(都商会)(監)ヘンリー小谷(出)伊志井寛、橘重子、山田直、八田新二

7 7/22(金)3:00pm 8/18(木)7:00pm

温泉悲話 三朝小唄(60分・18fps・35mm・白黒・無声)

『船頭小唄』(1923年)や『籠の鳥』(1924年)のヒット以来、日本の無声映画期には上映中にスクリーン脇で歌手が主題歌を歌う「小唄映画」が数多く製作された。本作もその1本で、画面中に「三朝小唄」の歌詞が現れる。三朝町に住む娘(岡島)と東京からやって来た画家(秋田)の悲恋もの。ロケ撮影を行ったマキノ映画が感謝の印として贈った可燃性フィルムが三朝町に保管されていた。本篇終了後に三朝町の風景やロケ撮影時のスタッフの様子を記録した映像が添えられている。マキノ映画は本作のヒットを受けて、『祇園小唄』、『鴨川小唄』、『嵐山小唄』(すべて1930年)などの小唄映画を量産した。(素材提供:鳥取県三朝町、復元作業:IMAGICAウェスト、協力:立命館大学アートリサーチ・センター)

’29(マキノ御室)(監)(原)(脚)人見吉之助(撮)木村角山(出)岡島艶子、秋田伸一、岡村義男、藤川澄子、マキノ正美、石川良平、柳妻麗三郎

少年諸君(28分・24fps・16mm・白黒・無声)

独特の風貌で個性的な演技を見せた伊藤雄之助、東映時代劇の名悪役のひとり澤村宗之助、そして同じく俳優の澤村敞之助(伊藤寿章)は、歌舞伎俳優・澤村宗之助を父とする3人兄弟である。父の死後、兄弟は1932年に「兄弟プロダクション」を設立して映画製作に乗り出すが、本作はその第1回作品。3兄弟の映画デビュー作でもある。当時はトーキーとして製作されたが、本プリントは字幕の入った無声版。東京から田舎へ引っ越してきた3兄弟が村の少年たちと心を通わせるまでを描く。その後、兄弟プロダクションは『少年忠臣蔵』(1933年)を製作するが経営不振でまもなく倒産した。(素材提供:広島市映像文化ライブラリー、復元作業:IMAGICAウェスト)

’32(兄弟プロダクション)(原)(脚)(監)高田保(撮)鈴木博、早船彌壽次(出)澤村宗之助、澤村敞之助、澤村雄之助、澤村美永子、河村芳朶

岐路(わかれ・・・みち)(27分・18fps・16mm・無声)

スピード時代が到来して自動車が街を疾走しはじめると、人力車は過去の遺物となってしまう。貧乏車夫の物語で、正直さの美徳をたたえる教育映画。監督の竹内俊一は戦前に児童向けの教育映画を数多く製作した。脚本の柳武史とキャメラの寺田清彦のコンビは、戦時下に文化映画『洗濯の科学』(1940年)を製作することになる。(素材提供:広島市映像文化ライブラリー、復元作業:IMAGICAウェスト)

’33(テラダ映画)(監)竹内俊一(脚)柳武史(撮)寺田清彦

8 7/22(金)7:00pm 8/10(水)3:00pm

勝鬨(76分・18fps・35mm・染色・無声・不完全)

ラストを含むいくつかのシーンが欠落した不完全版ではあるが、35mm可燃性プリントから復元した染色フィルムの鮮かさを堪能できる月形龍之介主演の時代劇。八代欣之助(鹿島)とその妹・お貞(マキノ)の仇討ち旅に加わった三平(月形)と享助(岩城)の兄弟に降りかかる数奇な運命。(素材提供:中部日本教映、復元作業:育映社)

’26(マキノ御室)(監)勝見正義(原)(脚)西條照太郎(撮)石本秀雄(出)月形龍之介、マキノ輝子、鹿島陽之助、岩城秀哉、鈴木澄子、児嶌武彦、市川小文治、久利富周介

護持院ヶ原の火華(39分・18fps・35mm・白黒・無声・部分)

戦前娯楽時代劇の旗手で、宝塚、エトナ、極東などいわゆる“B級プロダクション”を渡り歩いた後藤岱山監督の数少ない現存フィルム。宝塚キネマは1932年から1934年までマキノ御室撮影所跡地に存続した小プロダクション。筧寛十郎(羅門) は自分の許婚・三輪(月宮)を奪った左膳を斬って逃走。その途中で、武士の新六(阪東太郎)を危機から救った。左膳の遺児・左喜太(市川)は父の仇を討つため、護持院ヶ原へ寛十郎を呼び出す。主演の羅門光三郎の芸名は、メキシコ出身のハリウッドスターであったラモン・ノヴァロと師匠の光岡龍三郎の名前にちなんでつけられた。

’33(宝塚キネマ)(監)後藤岱山(原)(脚)西條照太郎(撮)平野好美(出)羅門光三郎、月宮乙女、阪東太郎、毛利峰子、武者小路五郎、矢野伊之助、市川龍男

9 7/23(土)1:00pm 8/3(水)7:00pm

西南戦争悲史 孝女白菊(44分・18fps・35mm・白黒・無声)

家庭小説や唱歌として親しまれた孝女白菊の物語は、もともと1888年に国文学者の落合直文が、東大教授の井上哲次郎が創作した漢詩を新体詩に書き直したもの。西郷軍に志願する父と、父に反発して家出する兄との葛藤が描かれるとともに、薄幸の本田白菊の出生の秘密が明かされる。東亜甲陽撮影所は兵庫県西宮市にあった現代劇スタジオで、1923年から1927年まで存続した。(素材提供:広島市映像文化ライブラリー、復元作業:IMAGICAウェスト)。

’25(東亜甲陽)(監)賀古残夢(原)(脚)檜山美登(撮)河崎喜久三(出)上村節子、石川秀道、荒木忍、中川芳江、月岡正美  

山村の光(56分・18fps・35mm・白黒・無声)

「発掘された映画たち2003」で上映した『晴れ行く空』(1927年)や『親』(1928年)と同様に、簡易保険局が松竹蒲田に委託した宣伝映画。田舎で暮らす娘が母親の治療費を工面するために東京に出て働く物語。たとえ生活が苦しくても、簡易保険を堅実に払っていれば困ったときに救われるものだという教訓をストレートに訴える。松井稔は清水宏の助監督から一本立ちした監督で、別プログラムで上映される『陸軍大行進』の共同監督も務めている。

’31(松竹蒲田)(監)松井稔(原)簡易保険局(脚)松崎博臣(撮)杉本正二郎(出)若水照子、結城一郎、飯田蝶子、石山龍嗣、河村黎吉、菅原秀雄

10 7/23(土)4:00pm 8/4(木)3:00pm

愛と憎しみ 涙の惨劇(71分・18fps・35mm・白黒・無声)

1932年に実際に起こった「玉の井バラバラ事件」を映画化した際物映画。ある家族が浅草で知り合った乞食(草間)を親切心から家へ連れ帰るが、その乞食のために家族が不幸に見舞われ、ついに殺人事件に発展するという悲劇。戦前から戦後まで活躍した八尋不二の脚本が当時の映画批評で高く評価された。

’32(新興東京)(監)中島宝三(原)(脚)八尋不二(撮)藤井静(出)若菜馨、上田寛、徳川良子、隅田ます代、森山保、橘光浩、草間実、金澤美都子

乙女橋(54分・24fps・35mm・白黒)

簡易保険局が企画して新興キネマが製作した宣伝映画。村と村の間を流れる大きな川には橋が架かっていないために、村民たちは綱を頼りに危険を犯して行き来していた。あるとき娘が急流に流され命を落としてしまう・・・。キャメラは黒澤明や成瀬巳喜男監督など巨匠の作品を数多く担当した中井朝一。監督の川手二郎はこのあと新興キネマで数本の監督をしたあと、P.C.L.に移籍して文化映画を演出した。

’36(新興東京)(監)(脚)川手二郎(原)簡易保険局(撮)中井朝一(出)江川なほみ、姫宮接子、隅田万寿代、三桝豊、岡崎光彦

11 7/24(日)0:00pm 8/5(金)2:00pm

銀河(188分・18fps・35mm・白黒・無声)

新聞連載小説の映画化で、清水宏が15巻の超大作をわずか20日間ほどで完成させた。小津安二郎や成瀬巳喜男がスキー場面を応援監督したという。長らく松竹に未編集のまま保存されていた16mmマスターポジを今回あらたに編集して、35㎜素材を作成した。実業家寺尾(藤野)の愛娘である道子(八雲)は、画家の関(日守)を愛していた。道子には乳姉妹の照枝(川崎)がいた。あるとき道子は照枝の兄の荘一(高田)に乱暴されて身籠ってしまい、世間体を考えてやむなく父の秘書の長島(奈良)と結婚する・・・。(復元作業:IMAGICAウェスト)

’31(松竹蒲田)(監)清水宏(原)加藤武雄(脚)村上徳三郎(撮)佐々木太郎(出)八雲恵美子、高田稔、川崎弘子、日守新一、藤野秀夫、吉岡満子、斉藤達雄、山縣直代、月田一郎、小林十九二、伊達里子、山本冬郷

12 7/24(日)4:00pm 8/12(金)7:00pm

輝く愛(38分・35mm・白黒・弁士解説版)

松竹文化映画部が文部省に委託されて製作した教育映画で、1931年5月に完成したが一般公開されずにお蔵入りとなった幻の映画。病気のため撮影途中で降板した西尾佳雄に代わり、清水宏が後半部分を監督した。本作は伴奏音楽、効果音、そして弁士の解説が付されたいわゆる「弁士解説版」である。桶屋の息子・三吉(小藤田)と、裕福な家庭の息子・信治(半田)の成長を対照的に描くことで清貧と勤勉の美徳を啓蒙する“教育映画”であるが、意表をついたコミカルなシーンや追っかけシーンもあり、娯楽作品としての完成度は高い。(復元作業:IMAGICA)

’31(松竹文化映画部)(監)清水宏、西尾佳雄(脚)松崎博臣(撮)野村昊(出)小藤田正一、半田日出丸、野寺正一、早見照代、小村新一郎、富士龍子

陸軍大行進(88分・24fps・35mm・白黒・無声[一部サウンド版]・不完全)

明治天皇が1882年に下した軍人勅諭の50周年記念作品として東西の松竹のスタッフ・キャストが結集した大作。原始時代から連綿と継承されてきた日本人の「軍人精神」が高らかに謳いあげられる。上映フィルムは、ロシアで発見された3巻分のサウンド版と、フィルムセンターが保管していた無声版7巻をつなぎ合わせた現時点における「最長版」であるが、ラストは欠落している。物語は田村銃(歴史的には「村田銃」)を開発した田村と盟友松山のふたつの家族が軸となっている。(復元作業:IMAGICA)。

’32(松竹)(監)清水宏、佐々木康、石川和雄、松井稔、井上金太郎、渡邊哲二(原)櫻井忠温(脚)吉田百助、松崎博臣(撮)小田瀬太郎、佐々木太郎、杉本正二郎、青木勇、石村蘇鉄、森尾鉄郎(出)奈良眞養、河村黎吉、藤野秀夫、花岡菊子、江川宇礼雄、城多二郎、高田浩吉、川田芳子、林長二郎、岩田祐吉

13 7/26(火)3:00pm 8/4(木)7:00pm

民族の叫び(61分・18fps・35mm・白黒・無声・不完全)

昭和天皇の即位を祝う「御大典奉祝記念映画」として製作され、満鉄の後援によって満洲で大規模なロケーション撮影が行われた大作。親子二代に渡って日中友好に尽くした日本人と中国人の物語。草創期から松竹蒲田を支えた監督の野村芳亭は、今年逝去した野村芳太郎(1919-2005)の父。

’28(松竹蒲田)(監)野村芳亭(原)黄子明(脚)吉田百助(撮)小田濱太郎(出)岩田祐吉、井上正夫、筑波雪子、清水一郎

九條武子夫人 無憂華(39分・35mm・白黒・不完全)

大谷光尊の次女として西本願寺に生まれ、12歳で九条良致男爵に嫁いだ九條武子(1887-1928)は、大正期に活躍した歌人であるとともに、関東大震災時には救済事業に奔走するなど慈善活動も積極的に行った歴史上の人物である。本作は彼女の生涯を描いた伝記映画で、東亜キネマは当時大規模な宣伝を行った興行的な成功を収めた。もともと無声映画として製作されたが、本プリントは後年再編集されたトーキー版。

’30(東亜京都)(監)根津新(原)九條武子、山中峯太郎(脚)柳原燁子(撮)河崎喜久三(音)本願寺築地時別院雅楽部(出)三原那智子、鈴村京子、高野豊洲、久世小夜子、小川雪子、中村園枝、岡田静江

14 7/26(火)7:00pm 8/17(水)3:00pm

中山七里(37分・21fps・35mm・白黒・不完全)

本作は初の時代劇オールトーキーとして喧伝された話題作で、『ふるさと』(溝口健二監督、1930年) とともに、ミナトーキー方式で録音された数少ない作品。開発した皆川芳造は、リー・デフォレストが発明したフォノフィルムの研究を積み、1927年から「ミナトーキー」と称してトーキー映画の製作を開始。1929年からは発声映画株式会社を設立して『ふるさと』や本作などを発表するが、フォノフィルムが他の技術と比較して劣っていたため1931年に製作を中止した。現存プリントは冒頭部分をはじめいくつかのシーンが欠落しているが、政吉の恋人おさんが餌差屋の主人に操を破られて自害するくだりから、政吉がおさんに瓜二つのお仲に出会うまでが描かれている。

’30(ミナトーキー)(監)落合浪雄(原)長谷川伸(撮)ヘンリー小谷、奥津武(音)成生利男(出)市川小太夫、春野歌子、松本高麗五郎、石山健二郎

美丈夫左京(48分・35mm・白黒・弁士解説版)

本プリントは1931年の無声映画『美丈夫左京』のインタータイトルを切り取った上で、あらたに伴奏音楽や弁士の解説をサウンドトラックに焼きこんだいわゆる「弁士解説版」。タイトルも『恋慕薩摩飛脚』と改変されている。幕府巡検使の竹中左京(林長二郎)が、密貿易で暴利をむさぼっていた薩摩藩へ潜入して悪事を暴くという物語。(素材提供:プラネット映画資料図書館、復元作業:IMAGICAウェスト)

’31(松竹下加茂)(監)星哲六(原)(脚)水足蘭秋(撮)森尾鉄郎(出)林長二郎(長谷川一夫)、北原露子、浦波須磨子、志賀靖郎、高松錦之助、東栄子、中村吉松、上田吉次郎

15 7/27(水)3:00pm 8/11(木)7:00pm

忠治活殺剱(48分・35mm・白黒・不完全)

マキノ正博が所長を務めるマキノ・トーキーが製作した“国定忠治もの”の一篇。忠治が偽名を使って居酒屋に住み込んでいると、忠治の捕縛を目指す目明し伊三郎が子供をつれてやってくる。さらに山城屋勝蔵に娘を売りにきた父親が、勝蔵の計略で身包みを剥がされるにおよんで、忠治は義侠心から山城屋へ殴り込む。マキノ正博の回想から、本作は伊藤大輔が監督した「忠次旅日記」3部作(1927年)のシナリオをマキノが借り受けて製作されたものだと推測できる。実際タイトル・クレジットに「原作・伊藤大輔」とあり、忠治に想いを寄せるお粂のシーンは現存する『忠次旅日記』と見紛うばかりである。上映フィルムは結末部分が切れている不完全版。(素材提供:プラネット映画資料図書館、復元作業:IMAGICAウェスト)

’36(マキノ・トーキー)(監)久保為義、マキノ正博(原)伊藤大輔(脚)比佐芳武(撮)大森伊八(音)マキノ管弦楽団(出)清水英太朗、大内弘、大倉千代子、大久保清子、原駒子、葉山純之輔、光岡龍三郎、浅野進二郎、大倉文男、島津勝二、林誠太郎、西村清

追分三五郎(60分・35mm・白黒)

1930年代後半にしばしば製作された「浪曲映画」の1本で、廣澤虎造の味わい深い唸りを堪能できる。清水次郎長の子分である追分三五郎と森の石松が恋の鞘当てを繰り広げ、金毘羅参りにおもむいた森の石松が都鳥一家に殺されると三五郎は仇討ちを決意する。太秦発声は1933年に京都に設立されたトーキー専門の製作会社で、日活と提携して本作以外にも『新・佐渡情話』(清瀬英次郎監督、1936年)などの浪曲映画をいくつか製作した。

’35(太秦発声=日活)(監)辻吉朗(原)(脚)小磯夏男(撮)河崎喜久三(出)黒川彌太郎、花井蘭子、廣澤虎造、市川小文治、鳥羽陽之助、阪東勝太郎、尾上桃華、高崎健太郎、大崎史郎、林雅美、上田吉二郎、五月潤子、衣笠潤子

16 7/27(水)7:00pm 8/12(金)3:00pm

第二の母(45分・35mm・白黒)

1934年に設立され1942年に戦時統合で閉鎖された日活多摩川撮影所はおもに現代劇を製作していた。ゴスフィルモフォンドから収蔵された7つの多摩川作品のうちの1本である本作は、ほぼ完全な形をとどめた貴重なもの。有名画家の父を失って身寄りをなくしてしまった姉弟の愛情を描いた作品。なめらかにシーンを省略することによってコンパクトな佳作に仕上がっている。(素材提供:プラネット映画資料図書館、復元作業:IMAGICAウェスト)

’36(日活多摩川)(監)田口哲、春原政久(原)(脚)小国英雄(撮)福田寅次郎(出)中野かほる、伊沢一郎、井染四郎、佐藤圓治、大島屯、石井美英子、紅沢葉子

怪猫謎の三味線(74分・35mm・白黒)

新興キネマは1930年代後期に数多くの怪談映画を生み出したが、とりわけ『佐賀怪猫伝』(1937年)にはじまる鈴木澄子主演の“怪猫映画”は、『山吹猫』(1940年)まで6作品が製作されたヒットシリーズ。監督の牛原虚彦は多重露光、特殊レンズ、スローモーション撮影などを使用して恐怖感を巧みに演出する。三味線弾きの清二郎(浅香)が飼っている猫が、あるとき武家の娘おきよ(歌川)のところへ迷い込み、二人は仲良くなる。それを見ていた清二郎の恋人三津枝(鈴木)は嫉妬に燃えて・・・。本プリントは再公開版で、タイトルは「恩讐謎の怪猫」と改変されている。(素材提供:プラネット映画資料図書館、復元作業:IMAGICAウェスト)

’38(新興京都)(監)牛原虚彦(原)(脚)波多謙治(撮)高橋武則(音)呉守邦(出)鈴木澄子、浅香新八郎、歌川絹枝、髙山廣子、森静子、嵐徳三郎、伴淳三郎、南部章三、寺島貢、尾上榮五郎、梅村蓉子、三保敦美、森光子、浅野八重子、浅野百合子、松本泰輔

17 7/28(木)3:00pm 8/13(土)1:00pm

海魔陸を行く(53分・35mm・白黒)

漁師に生け捕られた蛸が酢ダコにされる直前に蛸壺から脱出し、さまざまな天敵に遭遇しながらも故郷の海を目指すという荒唐無稽な実写映画で、徳川夢声が蛸の声を担当している。カマキリ、蜘蛛、蛇、ウツボなどの生態を超クロースアップで捉えたシーンは科学映画としても楽しめる。ラジオ映画は1947年から1953年ごろまで存在した会社。戦時下に『病院船』(1940年)を監督し、戦後の『白い山脈』(1957年)でカンヌ映画祭の賞を受賞した今村貞雄が代表を、さらに小津の初期作品のキャメラマン茂原英雄が監査をつとめている。本プリントはタイトル・クレジット部分のほか、数箇所のシーンが欠落している。(素材提供:プラネット映画資料図書館、復元作業:IMAGICAウェスト)

’50(ラジオ映画)(監)伊賀山正徳(原)今村貞雄(脚)松永六郎(撮)福田寅次郎(音)伊藤宣二(出)徳川夢声

鉄扇公主(西遊記 鐡扇公主の巻)[日本語吹替版](65分・35mm・白黒)

中国におけるアニメーション映画の創始者・萬兄弟が1941年に製作したアジア初の長篇アニメーションで、孫悟空、沙悟浄、猪八戒が三蔵法師を守りながら鉄扇姫や牛魔王と戦う大活劇。監督の萬籟鳴と萬古蟾はディズニーの『白雪姫』(1937年)に衝撃を受けて長篇アニメの製作に乗り出したという。中国映画界の辣腕プロデューサー張善琨が企画し、厳選された100名近いスタッフが2年間の歳月をかけて製作した。今回発見されたのは1942年に日本で公開された日本語吹替版であり、徳川夢声が日本語版の演出を担当している。本作は手塚治虫が少年時代に大きな影響を受けた作品としても知られており、漫画「ぼくはそんごくう」(1952-1959年)や東映の長篇アニメ『西遊記』(1960年)へとつながっていった。(素材提供:川喜多記念映画文化財団、復元作業:IMAGICA)

’41(中華聯合製片公司)(監)萬籟鳴、萬古蟾(原)(脚)王乾白(撮)劉度共、陳正發(出)徳川夢声、山野一郎、牧野周一、丸山章治、松井美明、水谷正夫、荒井雅吾、月野道代、小野松枝、神田千鶴子

18 7/28(木)7:00pm 8/16(火)3:00pm

特別任務班 日露戦争秘史 興亜の人種(49分・35mm・白黒)

日露戦争時の歴史的人物である横川省三と沖禎介を主人公にした戦意高揚映画。北京において結成された「特別任務班」の一員として、ロシア軍に対する諜報活動を行っていた横川省三と沖禎介らは、1904年に鉄道爆破を図ったがロシア軍に捕らえられて銃殺される。なお別プログラムで上映する『陸軍大行進』にも横山と沖を連想させる人物が登場している。

’41(旭日映画)(監)山下元廣(撮)岡野進一(音)福田宗吉(出)浅岡信夫、福田満州、西條香代子

姿なき敵(52分・35mm・白黒・不完全)

太平洋戦争下、アジア各地で対敵プロパガンダ放送に従事した「放送決死隊」の活躍を描いたもので、メディア戦争の系譜を知る上で貴重な作品。日本放送協会(NHK)の協力のもとに製作された。主人公がラジオ放送によって反日運動に参加している中国人を説得するシーンの一部が欠落しているが、話の流れをつかむことは可能である。

’45(大映東京)(監)千葉泰樹(原)並木亮(脚)小川記正(撮)秋野栄久(美)高橋康一(音)横田昌久(出)宇佐美淳、佐伯秀男、山本冬郷、北龍二、見明凡太朗、大井正夫、花布辰男、隅田一男、石黒達也、岩村英子、平井岐代子、村田知英子

19 7/29(金)3:00pm 8/14(日)4:00pm

萬世流芳(151分・35mm・白黒・日本語字幕付)

1842年に締結された不平等条約である南京条約の100周年を記念して、アヘン戦争における中国の英雄・林則徐の活躍を史実と虚構を交えながら描いた大作。上海の中華聯合製片公司の撮影所で製作され、1944年に日本でも公開された。満映のスター李香蘭(山口淑子)と中国のスター陳雲裳、高占非、袁美雲が共演している。本作は林則徐だけでなく、史実に存在しない林則徐の昔の恋人・張静嫻の自己犠牲的行為や、李香蘭演じる飴売り娘の凰姑の活躍にも力点が置かれている。このたび中国電影資料院から35mmポジを入手した。(素材提供:中国電影資料館)

‘42(中華聯合製片公司=中華電影=満映)(監)卜萬蒼、朱石麟、馬徐維邦、張善琨、楊小仲(原)周貽白(脚)朱石麟(撮)周達明、余省三(音)林乗憲(出)高占非、李香蘭、陳雲裳、袁美雲、王引

20 7/29(金)7:00pm 8/11(木)3:00pm

別離傷心(46分・35mm・白黒・不完全)

中国大陸の村落を支配する日本軍人と村民の“心の交流”を描いた戦時下のプロパガンダ映画。日本人に敵意を抱いて反日ゲリラに協力する中国人女性が、日本軍人の”温情“に触れて徐々に日本軍を受け入れてゆく。監督の市川哲夫は女優市川春代の弟。原作の伊地知進は第12回直木賞候補に選ばれた文学者で、翌1942年には『将軍と参謀と兵』を書いて映画史に名を刻んだ。

’41(日活多摩川)(監)市川哲夫(原)伊地知進(脚)岡田豊(撮)山崎安一朗(音)飯田景応(出)山田耕子、永田靖、水島道太郎、鳴海浄、井東日出夫、大町文夫、小峰千代子

(76分・35mm・白黒)

日本における祖先崇拝と“家”の思想を、ある旧家の兄弟の物語にからめて説く戦時下の作品。ある事情から次男が当主となって家督を受け継ぎ、一方長男は分家を立てた。あるとき次男が破産してしまい先祖が眠る屋敷を手放すことになるが・・・。倉谷勇は1933年に日活京都撮影所に入社して稲垣浩監督に師事した監督で、その後大都映画から松竹へ移籍した。本作は松竹入社第1回作品。当時の資料によると、演出指導に内田吐夢が、撮影指導に伊佐山三郎が当たったという。

’43(松竹太秦)(監)倉谷勇(原)諏訪三郎(脚)陶山鉄(撮)源佑介(出)小杉勇、小澤榮太郎、東野英治郎、風見章子、紅澤葉子、山内明、瀧花久子、團徳麿、戸田春子、殿山泰司

21 7/30(土)1:00pm 8/5(金)7:00pm

海賊旗吹ッ飛ぶ(75分・35mm・白黒・不完全)

薩摩藩士がイギリス人を殺害した文久二(1862)年の生麦事件と、それに続く薩英戦争を描いた戦意高揚映画。東宝から松竹下加茂の撮影所長に移籍したマキノ正博が総指揮にあたった。監督の辻吉朗(1892-1945)は1910年代から日活で活躍した第1世代の時代劇監督で、本作が遺作となった。また共同監督のマキノ眞三は牧野省三の三男で、もともと辻吉朗のチーフ助監督を努めていた。

’43(松竹下加茂)(監)辻吉朗、マキノ眞三(原) 絲屋寿雄、小倉浩一郎(脚)マキノ眞三、瀧澤一(撮)三木滋人、服部幹夫(音)大沢寿人(出)高田浩吉、宮城千賀子、澤村國太郎、尾上菊太郎、斉藤達雄、坂本武、西村青児、大塚紀男、朝霧鏡子、槇芙佐子、岡村文子

22 7/30(土)4:00pm 8/9(火)3:00pm

笑う地球に朝がくる(42分・35mm・白黒・不完全)

地方を巡業する貧乏劇団に次々と降りかかる災難を描いた喜劇で、当時の芸人たちが特別出演している。本作を製作した南旺映画は、1933年に「映画国策樹立に関する建議案」を衆議院に提出して国家による映画統制を基礎づけた代議士岩瀬亮が1939年に設立した会社。『空想部落』(1939年)を皮切りに、『秀子の応援團長』(1940年)や『煉瓦女工』(1940年、公開は1946年)などを製作して1941年に東宝に吸収された。

’40(南旺映画)(監)津田不二夫、千葉泰樹(原)(脚)南せん子(撮)東健(音)杉井幸一(出)岸井明、東喜代駒、大竹タモツ、エデ・カンタ、中川辨公、楠本武志、三遊亭金馬、飯山茂雄、櫻川忠七、村山進一

サザエさん 七転八起の巻(53分・35mm・白黒)

1946年以降「夕刊フクニチ」や「朝日新聞」に連載された人気漫画「サザエさん」の映画化作品としては、東宝で製作された江利チエミ主演のシリーズ(計10作、1956-1961年)が有名であるが、本作は1948年に製作された初映画化作品。雑誌記者をしているサザエさんが、友人の妹の入院費を捻出するために奔走するという物語であるが、原作漫画をそのままなぞっているシーンもあり興味深い。服部良一が作曲した軽快なレビューシーンがふんだんに盛り込まれている。「マキノ映画」はマキノ眞三と宮城千賀子夫婦が1948年に設立した会社であるが、『桜御殿』(1948年)と本作を世に出すとすぐに解散した。(素材提供:プラネット映画資料図書館、復元作業:IMAGICAウェスト)

’48(マキノ映画)(監)荒井良平(原)長谷川町子(脚)京都伸夫(撮)藤井春美、平野好美(音)服部良一(出)東屋トン子、木野浩、宮城千賀子、滝沢静子、沢蘭子、服部富子、オリエ津坂、平野邦彦、小笠原マリ子、大伴千春、美川眞砂子、井上清

23 7/31(日)1:00pm 8/17(水)7:00pm

一谷嫩軍記(107分・35mm・パートカラー)

東京劇場を1950年1月28日と29日の2日間借り切り、初代中村吉右衛門(1886-1954)の当たり狂言「熊谷陣屋」を撮影した記録映画(撮影前日までは17世中村勘三郎の襲名披露興行が同劇場で行われていた)。マキノ正博が監督、岡崎宏三等がキャメラを担当しており、キャメラ8台(9台という記録もある)を操作しながら同時録音で撮影された。タイトルバックと見せ場のワンシーンのみカラー映像になる。使用されたフィルムは翌年1951年に公開される初の長篇カラー作品『カルメン故郷に帰る』で本格的に用いられたリバーサル方式の「フジカラー」である。(素材提供:川喜多記念映画文化財団、復元作業:育映社、IMAGICA)

’50(プレミアピクチュア)(監)マキノ正博(原)並木宗輔 他(撮)岡崎宏三 他(出)中村吉右衛門、中村芝翫、松本幸四郎、中村勘三郎、澤村訥升、中村又五郎、中村吉之丞

24 7/31(日)4:00pm 8/9(火)7:00pm

歌麿(14分・35mm・カラー)

浮世絵師・喜多川歌麿(1753-1806)の繊細な技法を解き明かしてゆく記録映画で、小西六写真工業が開発したリバーサル方式のさくらカラー・フィルムを使用している。監修に時代小説家の邦枝完二、考証指導に浮世絵研究家の吉田暎二、浮世絵の実技指導に太田雅光があたっている。本作には当時の日本映画では珍しいあからさまな女性の裸体描写が含まれているが、これらのシーンは当然ながら映倫審査で問題視され、「髪すきの女の乳房露出場面」などの削除が実行されたと審査記録に記述されている(しかし本プリントにはなぜかそれらのシーンがすべて残っている)。(素材提供:川喜多記念映画文化財団、復元作業:IMAGICA)

’52(秀映社)(監)住田暎介(撮)山田耕造

菅原伝授手習鑑(88分・35mm・パートカラー)

マキノ正博が『一谷嫩軍記』に引き続き中村吉右衛門後援会の依頼で監督した初代中村吉右衛門の記録映画。1950年5月27日に名古屋御園座で吉右衛門一座が公演していた「寺子屋」を撮影している。マキノ正博の回想によると、富士フィルムからフジカラー・フィルムの試作品3000フィートが提供され、ライティングに苦労しながら撮影したという。(素材提供:川喜多記念映画文化財団、復元作業:育映社、IMAGICA)

’50(プレミアピクチュア)(監)マキノ正博(原)竹田出雲 他(撮)飯野博三郎、宮西良太郎(出)中村吉右衛門、中村芝翫、松本幸四郎、澤村訥升、中村又五郎、中村吉之丞、市川染五郎、中村萬之助

25 8/2(火)3:00pm 8/10(水)7:00pm

怪傑ハヤブサ[第一篇~第四篇](計77分・35mm・白黒・不完全)

1930年代後半にアクロバティックな演技で大都映画のスターとなったハヤブサ・ヒデトが、戦後に監督・主演した珍しい作品。怪傑ハヤブサがギャングの悪事を暴くというストーリーで、ハヤブサはビルの谷間を綱渡りで移動し、ダグラス・フェアバンクスのように船上で大アクションを繰り広げる。大跳躍篇、鉄壁突破篇、海上猛闘篇、解決篇の全4篇から成るが、上映プリントは海上猛闘篇の冒頭部分のサウンドが欠落している。1948年に設立された「映画配給社」は、やはり当時往年のスターであった上山草人を主役に据えた『龍眼島の秘密(第一部~第三部)』(1950年)なども製作している。(素材提供:川喜多記念映画文化財団、復元作業:IMAGICA)

’49(映画配給)(監)(出)ハヤブサ・ヒデト(原)有吉光也(脚)山田直(撮)高間秀治、赤川博臣(出)長谷川ひとみ、柏正子、稲葉正一、吉岡フランク、有島一郎

26 8/2(火)7:00pm 8/18(木)3:00pm

銀輪(12分・35mm・カラー・英語版・日本語字幕なし)

のちに実験映画作家となった松本俊夫が、PR映画会社に在籍していた時代に製作を率いた、日本自転車工業会の海外PR用短篇。少年の自転車へのあこがれを幻想的な表現で映画化した一種のシネポエムで、日本の実験映画史においても伝説的な作品とされていた。松本は、前衛芸術グループの実験工房とともに構想をまとめ、さらに武満徹らが鳥の鳴き声を変形したミュジーク・コンクレートを全面的に導入した。円谷英二の特撮技術を得たことでも特筆に値する。

’55(新理研映画)(監)矢部正男、松本俊夫、樋口源一郎(脚)北代省三、山口勝弘、松本俊夫(撮)荒木秀三郎(特殊撮影)円谷英二(美)北代省三、山口勝弘(音)武満徹、鈴木博義

心の故郷(77分・35mm・白黒・日本語字幕付)

母親に捨てられお寺に預けられた少年と、一人息子を亡くした母親の交流を詩情あふれる映像で描いた作品。咸(ハム)世(セ)徳(ドク)の戯曲「童僧」が原作であり、母親役の崔(チェ)銀(ウ)姫(ニ)は本作で一躍人気女優となった。豊田四郎の助監督をつとめたこともある尹龍奎(ユン・ヨンギュ)の初監督作品。尹監督は本作の製作直後に北朝鮮へ渡り、さらに映画監督として活躍した。数年前に16mmプリントが発見されて韓国映像資料院に収蔵されたが、今回日本国内であらたに35mmオリジナル・ネガが発見された。(素材提供:川喜多記念映画文化財団、復元作業:IMAGICA)

’49(東西映画企業社)(監)尹龍奎(ユン・ヨンギュ)(原)咸(ハム)世(セ)徳(ドク)(撮)韓瀅模(ハンヒョンモ)(出)崔(チェ)銀(ウ)姫(ニ)、卞基鍾(ピョンギジョン)、柳(ユ)民(ミン)

27 8/3(水)3:00pm 8/16(火)7:00pm

現代日本 教育篇・子供篇・産業篇 (計27分・35mm・白黒・英語版)

海外に日本を紹介する目的で製作された文化映画「現代日本」シリーズは全9篇あるが、今回上映するのはロシアで発見された教育篇・産業篇と、フィルムセンター既所蔵の子供篇の3篇である。特に子供篇は世界的洋画家の藤田嗣治(1886-1968)が監督した珍しい作品。本シリーズの企画および配給を行ったのは1935年9月に外務省斡旋のもとに設立された国際映画協会で、翌1936年には外郭団体として正式に事務局が設けられた。本シリーズには英語版と日本語版が存在したが、上映プリントは海外で上映された英語版である。

’37(東亜発声ニュース)(監)鈴木重吉[教育篇、産業篇]、藤田嗣治[子供篇](音)山田耕作、小松平五郎

日本の姿[第一篇~第六篇](計69分・35mm・白黒・一部英語版)

鉄道省は1910年代から旅客課において観光宣伝映画を盛んに製作しており、さらに1930年には外郭団体の国際観光局が設立されて外国人向けの宣伝映画も輸出するようになった。村尾薫は1928年から1939年まで鉄道省に属し、80本以上の宣伝映画を監督している。本作も村尾が監修した作品のひとつで、全6作が製作された(敬神崇祖、都市と文化、新興産業、青年徒歩旅行、勤勞の村々、聖地高千穂)。これまでフィルムセンターが所蔵していたのは第1作から第5作までであったが、今回ロシアで「聖地高千穂」が発見されてシリーズ全作が揃った。

’39(鐡道省)(監)村尾薫(撮)朝日映画(音)諸井三郎