NFAJ Digital Gallery – No.11

公開日:2016年1月23日

第11回 無声期日本映画のスチル写真(1)─日活向島篇①1910年代

日本映画の黎明以来、1930年代まで続いた無声映画時代──この時期のフィルムはほとんど失われてしまいましたが、スチル写真と文献からその豊かさを偲ぶことはできます。新シリーズとなる「無声期日本映画のスチル写真」第1回は、日本初の本格的な映画会社となった日活の向島撮影所で生まれた作品を取り上げ、草創期日本映画のスタイルにスポットを当てます。映画女優起用以前の映画の独特な耽美の世界をご堪能ください。なお今回紹介する写真は、すべてフィルムセンター所蔵の反町茂雄旧蔵衣笠貞之助コレクションに属するものです。

※解説・あらすじは文献に基づく。
※スチル写真に添えられた俳優名は文献・考察に基づく。

 

『七色指輪(七色指環)』(1918年) Nanairo Yubiwa (1918)

衣笠貞之助(左)、二島竹松(中央)、藤野秀夫(右)

写真/Photo

1918年1月13日公開 浅草 オペラ館 First release: Jan. 13, 1918
監督:小口忠 Director: Tadashi Oguchi

衣笠貞之助の入社第1回作品。舞台化もされた小杉天外の小説「七色珊瑚」(1918年)を意識して製作された。山下進(藤野秀夫)は、妻峰子(東猛夫)に横恋慕する島磯次(山本嘉一)の策略によって峰子が流れ者の七五郎(横山運平)と逢引きしていたと思い込み、怒りのあまり峰子の手から結婚の際に贈った七色指輪を抜き取った。荒れた生活から抜け出そうと養父からの支援金50万円を持って北海道の炭鉱に向かった進は、列車内で美しい若い女早苗(衣笠貞之助)を介抱したのをきっかけに関係を持ってしまう。実は早苗は放浪の女盗賊だったが、進を本気で好きになり、覆面男に強奪されそうになった彼を救う。覆面男は実は島で、奇縁にも早苗は峰子の実の妹であった。島は罪を詫びて自殺し、峰子の手に七色指輪が戻った。

『生ける屍』(1918年) Ikeru Shikabane (1918)

立花貞二郎(前)、衣笠貞之助(後ろ)

写真/Photo

1918年3月31日公開 浅草 遊楽館 First release: Mar. 31, 1918

監督:田中栄三 Director: Eizo Tanaka

トルストイの原作を島村抱月・川村花菱が訳補し、1917年10月に芸術座が松井須磨子主演で公演したものを(於明治座)、さらに日活向島と歌劇座合同で映画化。歌劇座の石井獏と沢モリノが酒場で踊る場面がある。アニメーション作家の北山清太郎もアート・タイトルと字幕を担当している。軽井沢でロケーション撮影され、その異国情緒あふれる雰囲気と俳優たちの「外国人らしさ」が評価されたほか、日本映画としては先駆的に移動撮影や逆光線が用いられた(撮影:藤原幸三郎)。病気療養から半年ぶりに復帰した立花貞二郎がリーザ役で出演しているが、本作を最後に映画界を退き同年11月11日に25歳で早世したため彼の遺作となった。リーザの妹サーシャ役に衣笠貞之助。

『父の涙』(1918年) Chichi no Namida (1918)

衣笠貞之助(左)、東猛夫(中央)、藤野秀夫(右)

衣笠貞之助(左)、藤野秀夫(中央)、大村正雄(右)

写真/Photo

1918年6月1日公開 浅草オペラ館 First release: Jun. 1, 1918
監督:田中栄三 Director: Eizo Tanaka

雑誌『活動之世界』に掲載された桝本清の脚本を映画化。幼少時に親と生き別れ、銀行の頭取である濱口友兄(大村正雄)の養女となった百合子(衣笠貞之助)。ある日彼女が乗車していた自動車が老人を轢いてしまう。老人は実は、元は役人だったが今は尺八で門付をしながら百合子を探し巡る父畑新伍(山本嘉一)であった。ならず者の鐵造は百合子の実父を騙って濱口家を強請り続けていたが、遂に濱口家の跡取りである正也(藤野秀夫)が百合子に贈った婚約指輪まで奪った。それを知った継母才子(東二郎)は百合子が他の男に指輪をやったのだと彼女を激しく苛めた。正也は才子に仕向けられて女優玉路(東猛夫)の家に入り浸るようになり、迎えに行った百合子を冷たく追い返した。実は玉路は才子が生んだ実娘で、跡取り息子の正也と結婚させるための策略だった。一方、新伍は指輪をめぐって鐵造と揉み合いになり、鐵造は誤って自らを刺して死んだ。新伍は指環を濱口家へ届け、晴れて百合子の身が潔白になったのを見届けた後、川へ身投げする。百合子が駆け付けたときにはすでに遅く、新伍の尺八が水面に浮かんでいるだけだった。

『女一代』 (1918年) Onna Ichidai (1918)

衣笠貞之助(中央)

山本嘉一(左)、衣笠貞之助(中央)

写真/Photo

1918年9月15日公開 浅草 オペラ館 First release: Sept. 15, 1918
監督:小口忠 Director: Tadashi Oguchi

原作は1913年に『報知新聞』に掲載された柳川春葉の同名小説で、彼自身が脚色した狂言を伊井蓉峰一座が明治座で同年9月に上演した後、日活向島が山崎長之輔一派出演作を浅草公園・富士館で1913年10月に公開している。従って本作は二度目の映画化。銀行家の子息上坂謹一郎(藤野秀夫)は、人気女優芳川花枝(東猛夫)の批評を新聞に書いた。ところが花枝のパトロンである笠原子爵が謝罪を要求し、謹一郎は拒絶した。謹一郎は政治家大須賀(山本嘉一)の娘小夜子(衣笠貞之助)と婚約していたが、笠原子爵によって仲を裂かれる。大須賀は小夜子を残して満洲へ旅立ってしまい、取り残された小夜子は騙されて大連の「チャブ屋」に売られてしまう。一方、花枝は真の芸術を解する謹一郎に惹かれるようになり、彼の実家の窮地を救うため満洲へ旅興行に行く。旅先で病を得た花枝の臨終に、大須賀が小夜子を連れて駆け付けた。小夜子は実は花枝の腹違いの妹であった。花枝は謹一郎に抱かれ、彼と小夜子の幸福を祈って死んでいった。

『新召集令』 (1918年) Shin Shoshurei (1918)

大村正雄(左)、衣笠貞之助(中央)、藤野秀夫(右)

五月操(左)、衣笠貞之助(中央左)、藤野秀夫(中央右)、山本嘉一(右)

写真/Photo

1918年9月30日公開 浅草 三友館 First release: Sept. 30, 1918
監督:小口忠 Director: Tadashi Oguchi

1918年8月11日に新聞掲載されたという博多の軍国美談を基に映画化されたもの。馭者の武雄(藤野秀夫)と女中のお藤(衣笠貞之助)は相思相愛だったが、お藤の奉公先の若旦那野中新太郎(大村正雄)は、給金の前借を盾にお藤に執拗に迫った。お藤は武雄の馬車に乗って逃げ、すぐさまふたりは結婚を決めた。しかしその夜、武雄の父三吉(山本嘉一)が働く水車小屋が火事に遭い、野中家の数十俵の米が焼失し、三吉の負債となったうえ、三吉は身体障害者となった。そんな折、武雄のもとへ召集令が届いた。三吉は出征する武雄の心残りのないよう結婚を諦めるようお藤に頼み、お藤は承諾する。しかし、三吉の借金のために奔走するお藤の健気さに心を打たれた三吉は結婚を許す。武雄とお藤の祝言の夜、三吉はシベリア出兵を控えた武雄への餞として自害する。武雄は三吉の遺言を守り名誉の戦死者となる。

『観音岩』 (1919年) Kannon-iwa (1919)

写真/Photo

1919年5月29日公開 浅草 三友館 First release: May 29, 1919
監督:小口忠 Director: Tadashi Oguchi

原作は1906年に刊行された川上眉山の同名小説。1908年8月に小島孤舟脚色によって東京座で上演されている。
富士山の南に位置する愛鷹山の麓のある村における農民たちのあいだで起きた争いと悲劇の物語。村人の人望厚い豪農石巻庄右衛門(横山運平)に激しく嫉妬する豪農荻原弥十郎(水島亮太郎)は、自分の娘お糸(東猛夫)と石巻の息子林蔵(藤川三之助)との仲を裂き、失意のあまり林蔵は自殺した。さらに荻原は「馬鹿の太七」(小泉嘉輔)を煽って石巻の娘お幸(衣笠貞之助)を誘拐させ、揉み合ったふたりは観音岩の頂上から谷底へと落ちて命を失った。お糸と群長の息子との政略結婚の夜、洪水が村を襲った。私欲に走った荻原による森林伐採のせいだった。悔い改めた荻原は石巻に詫びた。

衣笠貞之助(中央)、小泉嘉輔(右) 

衣笠貞之助(左)、小泉嘉輔(右)

『新野崎村』 (1919年) Shin Nozakimura (1919)

衣笠貞之助(左)、東猛夫(右)

写真/Photo

1919年5月31日公開 浅草 オペラ館 First release: May 31, 1919
監督:田中栄三 Director: Eizo Tanaka

原作は1905年に『都新聞』で連載された伊原青々園の同名小説で何度か舞台化もされている。新聞配達しながら苦学している進藤小三郎(藤野秀夫)は自動車事故に遭い、車上の博士(山本嘉一)に身柄を引き取られたことをきっかけに学資援助を受けるようになる。博士は偶然にも彼が路上で一目惚れした令嬢初枝(衣笠貞之助)の父であった。やがて進藤と初枝は相思相愛になり、初枝は進藤の子を身ごもるが、進藤には親の決めた許嫁お藤(東猛夫)がいた。事実を知ったお藤は赤子を抱いた初枝を鎌で殺す夢まで見るが、結局は身を引く。お藤は心労から病を得、ふたりの幸福を祈りながら死んだ。

『豹子頭林冲』 (1919年) Hyoshitorinchu (1919)

東二郎(中央左)、衣笠貞之助(中央右)

写真/Photo

1919年6月16日公開 赤坂 葵館 First release: Jun. 16, 1919
監督:小口忠 Director: Tadashi Oguchi

水滸伝の一節を中国への輸出も視野に映画化したもの。「支那劇」として「支那音楽団演奏」付で特別興行された。武芸に秀でた豹子頭林冲(藤野秀夫)は魯智深(山本嘉一)という怪力の僧と知り合い兄弟の義を結ぶ。大臣である父の高俅(東二郎)の権威を笠に着る高衙内(衣笠貞之助)は、兼ねてから目を付けていた林冲の美貌の妻張氏(東猛夫)を手籠めにしようとするが林冲に阻まれる。逆恨みした衙内の策略で流罪の身となった林冲は、衙内たちによるあの手この手の妨害を魯智深の助けを借りながら逃れ、やがて梁山泊の高弟の一人となって名声を獲得する。

『恋の津磨子』(1919年) Koi no Tsumako (1919)

東猛夫(左)、藤野秀夫(中央)、衣笠貞之助(右)

写真/Photo

1919年9月27日公開 浅草 オペラ館 First release: Sept. 27, 1919
監督:小口忠 Director: Tadashi Oguchi

1919年1月5日に、師で恋人の島村抱月の後追い自殺をした女優松井須磨子の生涯を映画化したもの。同名小説(酔芙蓉 著)が1920年1月刊行されている。警視庁による検閲で上映許可が下りず保留になっていたが、登場人物たちの名を変え問題となる部分を削除し、ようやく公開にこぎつけた。土屋松濤による映画説明も好評で、連日満員だったという。家庭を捨てて文芸協会所属の舞台女優となった三井津磨子(東猛夫)は、舞台監督の今浦秋月(藤野秀夫)が妻(衣笠貞之助)の居る身であると知りながら公私を共にする。醜聞によって苦境に立たされたふたりは大陸巡業にいく。帰国した秋月は間もなく病死する。悲嘆に暮れる津磨子が演じる「カルメン」は人々を驚嘆させた。津磨子は丸髷に結い、秋月と暮らした日々を思い出しながら遺書をしたためた。