東京国立近代美術館フィルムセンター
National Film Center
The National Museum of Modern Art, Tokyo

平成14年度映画製作専門家養成講座(第6回)
──岡崎宏三とその仲間たち──

応募要項表紙

主催 東京国立近代美術館フィルムセンター

はじめに

 映画産業の縮小や非フィルム映像産業の拡大につれて、日本映画の豊かな歴史を支えてきた優れた技芸の一部は過去のものとなる傾向にあり、近年、これを憂慮する声が次第に大きくなってきています。わが国唯一の国立映画研究機関である東京国立近代美術館フィルムセンターは、映画(フィルム)を取り巻くこうした技と匠が世界に誇り得る技術的文化遺産であるとの認識から、それらを次世代に正しく伝え、将来の映画人を育成すること、ならびに映画芸術の発展に資することを目的として、平成9年度より「映画製作専門家養成講座」という事業を実施してきました。

 平成11年度の第3回までは、監督、撮影、照明などの部門別に講座を開催してきましたが、主要な部門をほぼ網羅したことに伴い、4回目となった一昨年度より、映画芸術に多大な功績を残した映画人の業績をたどりながら、より広く映画製作を学ぶことのできる場を提供することとしています。今回は、総合プロデューサーの岡崎宏三先生が実際に撮影を担当された作品を通じて、生きた映画の技術を具体的に学んでいただきます。

 日本映画の技と匠を、師匠から弟子へ、先輩から後輩へ、ベテランから新人へ伝えようとするこの講座が、日本映画の良き伝統を守る一助となり、また、映画映像製作に携わる方々の交流の場となることを願っております。

東京国立近代美術館フィルムセンター

講師紹介

各講座の内容は、映画の現場におけるように本講座の総合プロデューサーによってアレンジされたものです。
受講者は、総合プロデューサー、各講座の講師とともに映画を鑑賞し、質疑応答をまじえながら映画製作の技術等について講義を受けます。

総合プロデューサー
岡崎宏三(おかざき・こうぞう)…撮影

1919年生まれ。’35年、新興キネマ大泉撮影所撮影部に入社、撮影助手として行山光一、のちに青島順一郎に師事する。’39年撮影監督に昇進、第1作の「愛の記念日」(伊奈精一監督)を担当。新興キネマが大映に改組されて以降も、大規模な中国ロケーションで知られる「狼火は上海に揚る」(’44年)などで活躍したが’44年に退社、終戦後はシュウ・タグチプロダクションなどで記録映画やニュース映画の撮影に携わった。独立プロダクションでの活躍を経て’55年には宝塚映画、続いて東京映画と契約。東京映画では巨匠監督とのコラボレーションで力量を発揮し、「暖簾」(’58年)、「グラマ島の誘惑」(’59年)、「花影」(’61年)といった川島雄三作品、「波影」(’65年)、「千曲川絶唱」(’67年)、「恍惚の人」(’73年)といった豊田四郎作品などの撮影を担当したほか、’60年代を通じて「駅前」シリーズなどの喜劇でも知られている。’75年にはフリーとなり、小林正樹監督の大作のほか独立プロの作品も数多く手がけているが、低予算映画にも柔軟に対応するその撮影術は多くの監督たちから信頼されている。80歳を超えた現在も活躍中であり、最新作は「アイ・ラブ・フレンズ」(’01年)。国際的な活躍でも注目され、ジョセフ・フォン・スタンバーグ作品「アナタハン」(’53)への参加を筆頭に、シドニー・ポラック監督「ザ・ヤクザ」(’74)、ポルトガルとの合作「恋の浮島」(’82)などの作品を送り出している。’78年芸術選奨文部大臣賞受賞、’83年紫綬褒章受章。毎日映画コンクール、ブルーリボン賞などでの受賞も多数。

参考文献:

*参考文献はNFC図書室で閲覧することができます。

2/26(水) 第1講 師・青島順一郎と戦前の撮影術

若くして新興キネマに入社した岡崎氏が師と仰いだのは、天活、国活、日活向島、日活京都といった初期日本映画を形作る数多くのプロダクションで研鑚を積んだ青島順一郎であった。現存するフィルムの中で、岡崎氏が青島キャメラマン独特の画調がもっとも残っているとする「霧笛」と、岡崎氏が師匠のもとでB班の撮影を務めた文化映画「病院船」(’40年)を参照しながら、この時代のモノクロ撮影の技術について具体的に考察を加える。また、すでに巨匠であった青島キャメラマンと岡崎氏との関係を軸に、当時の撮影界の師弟関係、撮影所の環境と職制、さらには当時の撮影監督に課せられたさまざまな責務を語っていただき、映画作りにおける「変わるもの」と「変わらぬもの」を探る。

上映作品:
「霧笛」(’34年、新興キネマ、村田実監督)
「病院船」(’40年、東京文化映画製作所、今村貞雄構成)

[フィルムセンター研究員との質疑応答の形式で進めます]

2/27(木) 第2講 新しい技術への挑戦

戦後の日本映画の黄金期となる1950年代の後半には、イーストマンカラーの採用が本格化するとともに、スクリーンの大型化の要請がシネマスコープの導入を促した。また海外の撮影技術の動向にも敏感な同氏は、’69年の「御用金」で日本の映画界に初のパナビジョン撮影を導入し、先駆的な役割を果たしたことでも知られる。記録映画の視点から撮影術を捉える奥村祐治氏、そしてフィルム現像に長らく携わってきた小川利弘氏のコメントを得て、それぞれの時代を席巻した技術革新の波を岡崎氏がどのように受け止め、独特の表現を獲得していったかを検証する。

上映作品:
「御用金」(’69年、フジテレビジョン=東京映画、五社英雄監督)

講師:奥村祐治(おくむら・ゆうじ)…撮影

1935年生まれ。’57年に岩波映画製作所に入社、撮影助手を経て「たのしい科学」シリーズ(’59年)や「日本発見」シリーズ(’60年)などのテレビ・シリーズでキャメラマンとして一本立ちする。’64年にフリーとなり、産業映画に携わる傍ら小川紳介監督の処女作「青年の海」(’66年)に参加。また「炎と女」(’67年)、「樹氷のよろめき」(’67年)、「さらば夏の光」(’70年)といった吉田喜重監督の実験作や、さらにはスタジオ育ちでない自在なスタイルを強みに「初恋・地獄篇」(’68年、羽仁進監督)、「あらかじめ失われた恋人たちよ」(’71年、清水邦夫・田原総一朗監督)、「星空のマリオネット」(’78年、橋浦方人監督)といった新世代の意欲作を支えた。またドキュメンタリー手法の追究はその後も小川プロ作品「どっこい!人間節」(’75年)に活かされている。’91年の「オーロラの下で」により、第35回アジア太平洋映画祭撮影賞、日本アカデミー賞優秀撮影賞を受賞。

講師:小川利弘(おがわ・としひろ)…現像

1941年生まれ。’59年に東京現像所に入社、現像・焼付の経験を積んだ後、15年にわたって「マグマ大使」(’66年~’67年、CX)や「江戸の旋風」(’75年~’79年、CX)をはじめとするテレビ作品やCFでタイミングを担当する。その後オプチカル技術に転じて全盛期を迎えたCFのフィルム処理に従事し、以後は劇映画や大型映像の特殊効果に携わって高い評価を得ている。特殊効果における代表作は新「ゴジラ」シリーズ(’89年~)、「四十七人の刺客」(’94年、市川崑監督)、「誘拐」(’97年、大河原孝夫監督)など。’94年に日本アカデミー賞の協会特別賞を受賞。

2/28(金) 第3講 巨匠たちとともに

大作から低予算コメディまで、いかなる環境にも適応する岡崎氏の仕事への評価は、その60年以上にわたるキャメラマン生活の中で、70人もの監督たちと仕事をしたことからも証明される。中でも、東京映画に所属していた時代には川島雄三、豊田四郎といった日本映画の黄金時代を担った監督たちの現場を支え、さらに撮影所の枠を超えて小林正樹、今井正、木下恵介といった名匠からも高い信頼を得ている。こうした監督たちの空間設計や画面作り、色彩感覚などについて、また名コンビと謳われた照明技師下村一夫氏らとのスタッフワークについて、東京映画在籍時に川島組・豊田組の助監督であった秦幸三郎監督をお招きしてともに語っていただく。

上映作品:
「花影」(’61年、東京映画、川島雄三監督)
「甘い汗」(’64年、東京映画、豊田四郎監督)

講師:秦幸三郎(はた・こうざぶろう)…監督

1930年生まれ。日本大学芸術学部を卒業した’53年に東京映画に入社、川島雄三、久松静児、豊田四郎をはじめとする監督たちの現場に助監督としてつく。’64年には「くたばれ! 社用族」で監督に昇進、劇映画デビューを果たす。以降テレビ界に活躍の場を移し、「愛のダイヤル」(’63年、CX)、「うちのお父ちゃん」(’66年、TBS)、「丹下左膳」(’67~68年、TBS)、「仇討」(’68年~’69年、TBS、第12話「討たれの旅に」と第17話「返り討ち崇禅寺馬場」)、「S・Hは恋のイニシャル」(’69年、TBS)、「渓流の女」(’73年、北日本放送)などの人気ドラマを続々と発表。’72年にはフリーになり、「ル・マン24時間」(’86年)、「21世紀に向けての国づくり」(’86年)、「快適環境への挑戦」(’87年)、「魅惑の夜ラスベガス」(’89年)といったPR映画作品にも携わっている。

3/1(土) 第4講 海外ロケーション・合作の実際

日本の撮影監督の中でも岡崎氏の活動がとりわけ特徴的なのは、その経歴の初期からはじまる国際的な仕事ぶりである。戦前の占領地での撮影にはじまり、いまや伝説的とも言えるジョゼフ・フォン・スタンバーグの「アナタハン」(’53年)、シドニー・ポラック監督「ザ・ヤクザ」(’74年)などの外国映画への参加、そしてイラン・ロケーションを敢行した「燃える秋」(’78年)やフジテレビ「ルーブル美術館」(’79年)などの外国ロケにおいても自在な活動を見せている。岡崎氏のもとで外国作品や海外ロケに携わった大岡新一キャメラマンのお話を交えつつ、合作や外国での撮影の諸問題、そして外国人スタッフとのコミュニケーションの難しさや製作環境の違いをいかに乗り越えたかなどを豊かな実例を挙げて語っていただく。

上映作品:
「燃える秋」(’78年、東宝映画=三越、小林正樹監督)

講師:大岡新一(おおおか・しんいち)…撮影

1947年生まれ。’69年に円谷プロダクションに入社、その後日本現代企画の契約キャメラマンとして「バロン」シリーズ(’73年~’77年、NTV)などのテレビドラマで特撮監督として活躍。’76年にはフリーに転じ、岡崎氏が撮影監督を務めた「だいじょうぶマイフレンド」(’83年)のキャメラ・オペレーターを皮切りに、「まんだら屋の良太」(’86年)、「プルシアンブルーの肖像」(’86年)、「あいつに恋して」(’87年)といった劇映画にも進出、またつくば科学万博(’85年)の住友館など3次元映像の仕事も数多い。’90年代に入ってからは円谷プロの「ウルトラマン」シリーズをテレビ向けと劇場公開用の両者にまたがって担当している。劇場向けの最新作は「劇場版 ウルトラマンコスモス2 THE BLUE PLANET」(’02年)。’87年に日本映画テレビ技術協会の柴田賞(新人賞)を受賞した。

応募要項

主催
東京国立近代美術館フィルムセンター
企画・助言
平成14年度映画製作専門家養成講座実行委員会
(品田雄吉、高村倉太郎、野上照代、堀越謙三、松本正道、宮澤誠一)
会場
東京都中央区京橋3-7-6
東京国立近代美術館フィルムセンター 小ホール(地下1階)
講座日程
第1講 平成15年2月26日(水)午後0時30分~午後6時
第2講 平成15年2月27日(木)午後1時~午後6時
第3講 平成15年2月28日(金)午前10時30分~午後6時
第4講 平成15年3月1日(土)午後1時~午後6時30分
受講料
無料。ただし、受講料金以外の交通費や食費、宿泊費等は受講者の負担となります。
修了証
受講修了者には全講座(4日間)出席をもって、修了証を発行します。
応募資格
映画(自主製作を含む)をはじめ、TVやビデオ製作など、映像製作の諸分野で助手等の現場経験を有する方、映画・映像に関する専門学校などで実習経験を有する方ならどなたでも応募できます。 ただし、応募多数の場合には募集定員の範囲内で審査を行います。
募集定員
100名程度
応募方法
応募用紙に氏名等必要な事項を記入の上、切り離して封筒を作成し郵送してください。
募集期限
平成15年1月18日(土)必着
なお、書類選考の上、応募用紙に添付された所定のはがきにて合否の通知を行います。

*内容については一部変更になることがあります。あらかじめ御了承ください。

応募用紙送付先/問い合わせ先
〒104-0031 東京都中央区京橋3-7-6
東京国立近代美術館フィルムセンター
映画製作専門家養成講座事務局
TEL 03-3561-0823(代表)