平成13年度映画製作専門家養成講座(第5回)

──川又昂とその仲間たち──

主催
東京国立近代美術館フィルムセンター
企画・助言
平成13年度映画製作専門家養成講座実行委員会
(品田雄吉、高村倉太郎、野上照代、堀越謙三、松本正道、宮澤誠一)

会場

東京都中央区京橋3-7-6
東京国立近代美術館フィルムセンター 小ホール(地下1階)

講座日程

第1講 平成14年2月13日(水)午後0時30分~午後6時
第2講 平成14年2月14日(木)午後1時~午後6時
第3講 平成14年2月15日(金)午前10時30分~午後6時
第4講 平成14年2月16日(土)午後1時~午後6時30分

受講料

無料。ただし、受講料金以外の交通費や食費、宿泊費等は受講者の負担となります。

修了証

受講修了者には全講座(4日間)出席をもって、修了証を発行します。

応募資格

映画(自主製作を含む)をはじめ、TVやビデオ製作など、映像製作の諸分野で助手等の現場経験を有する方、映画・映像に関する専門学校などで実習経験を有する方ならどなたでも応募できます。
ただし、応募多数の場合には募集定員の範囲内で審査を行います。

募集定員

100名程度

応募方法

応募用紙に氏名等必要な事項を記入の上、切り離して封筒を作成し郵送してください。

募集期限

平成13年12月22日(土)必着
なお、書類選考の上、応募用紙に添付された所定のはがきにて合否の通知を行ないます。

*内容については一部変更になることがあります。あらかじめ御了承ください。

応募用紙送付先/問い合わせ先

〒104-0031 東京都中央区京橋3-7-6
東京国立近代美術館フィルムセンター
映画製作専門家養成講座事務局
・ 03-3561-0823(代表)

講師と講座内容の紹介

各講座の内容は、映画の現場におけるように本講座の総合プロデューサーによってアレンジされたものです。

受講者は、総合プロデューサー、各講座の講師とともに映画を鑑賞し、質疑応答をまじえながら映画製作の技術等について講義を受けます。

総合プロデューサー
川又昂(かわまた・たかし)
撮影監督

1926年生まれ。'44年、日本映画学校撮影科を卒業後、松竹大船撮影所撮影部に入社。厚田雄春に師事し、「長屋紳士録」('47)から「彼岸花」('58)まで9本の小津安二郎作品に撮影助手として就く。'59年撮影監督に昇進、第1作である「明日の太陽」以来、「青春残酷物語」('59)「太陽の墓場」('60、三浦賞受賞)「日本の夜と霧」('60)といった大島渚監督の初期の代表作を続けて担当し、同社の新世代いわゆる「松竹ヌーヴェル・ヴァーグ」を支える重要な撮影監督となった。また、それと並んで業績の中心をなすのは野村芳太郎監督との仕事であり、「ゼロの焦点」('61)、「影の車」('69)「砂の器」('74、日本映画技術賞受賞)「わるいやつら」('80)「疑惑」('82)といった松本清張原作のサスペンス映画のシリーズのほか、「東京湾」('62)「五辨の椿」('64)「昭和枯れすすき」('75)など計60本の野村作品を手がけている。大庭秀雄、小林正樹、中村登、深作欣二、山根成之といった新旧の監督たちとの共同作業でも知られるほか、今村昌平監督作品「黒い雨」('89)では現代では稀になったモノクロ撮影で実力を示し、カンヌ国際映画祭で特別高等技術院賞を受賞している。これまで89本の劇場用映画に携わり、近年は小津作品をはじめとする松竹の名作の復元にも力を注いだ。'93年の春に紫綬褒章、'98年に勲四等旭日小綬章を受ける。現在、日本映画撮影監督協会顧問、日本大学芸術学部講師。

参考文献:
「映画製作のすべて 映画製作技術の基本と手引き」(写真工業出版社、'99[川又氏は第16章を執筆])NFC図書室請求番号M-878
*参考文献はNFC図書室で閲覧することができます。

●2月13日(水) 第1講 小津安二郎監督との仕事

川又氏は松竹大船撮影所での撮影助手時代、「長屋紳士録」('47)から「彼岸花」('58)に至る9本の小津安二郎作品に携わっているが、第1撮影助手となったのは「麦秋」('51)からである。野田高梧との共同作業の中で作り出される小津映画のシナリオはきわめて緻密な計算のもとに作られており、完成稿に従って厚田雄春キャメラマンが撮影したラッシュ・フィルムは予定の長さとほとんど違いが生じなかったという。川又氏と助監督だった斎藤武市氏が最も近くから小津=厚田コンビの厳密な仕事ぶりを観察した「東京物語」('53)を通じて、大船撮影所現像部の役割にも触れながら、小津組における演出と撮影のメカニズムを検証する。

上映作品:
「東京物語」('53、松竹、小津安二郎監督)

講師:斎藤武市(さいとう・ぶいち)…監督

1925年生まれ。'49年松竹に助監督として入社、小津安二郎監督の助監督となる。'54年、製作を再開した日活と契約、'56年の「姉さんのお嫁入り」で監督としてデビューする。ペギー葉山のヒット曲でも知られる'59年の「南国土佐を後にして」が大ヒット、その後この映画を母胎にした小林旭主演の「渡り鳥」シリーズ全9作品('59-'62)を演出して日活のアクション路線を背負う重要なヒット・メーカーとなる。またアクション映画のみならず、吉永小百合主演の「愛と死を見つめて」('64)などのリリカルな作品にも優れた演出を見せた。'70年にフリーとなり、以後は日本テレビの「子連れ狼」('76)、「忠臣蔵」('85)、「白虎隊」('86)、「田原坂」('87)、「奇兵隊」('88)、テレビ朝日「土曜ワイド劇場」を始めとするテレビドラマの演出を多数手がけている。

●2月14日(木) 第2講 大島渚監督との仕事

新人スター紹介用の短篇「明日の太陽」('59)で撮影監督デビューを果たした川又氏は、それ以後「青春残酷物語」('59)「太陽の墓場」「日本の夜と霧」('60)という大島渚監督の重要な初期作品に続けて携わり、松竹大船の新世代を代表するキャメラマンとして認められた。感度の低いカラー・フィルムしか存在しなかった当時、大島組のスタッフは「青春残酷物語」の鮮烈な映像をどのように獲得したのか。読売新聞記者として当時の大船撮影所を取材した経験を持つ作家長部日出雄氏、そして助監督として大島組を支えた水川淳三氏の証言を得て、撮影所の変貌と「松竹ヌーヴェル・ヴァーグ」の技術面をたどる。またスチル写真と韓国人少年の手記を組み合わせたドキュメント「ユンボギの日記」('65)を通じて、大島監督と川又氏による手作業の映画作りにも触れる。

上映作品:
「明日の太陽」('59、松竹、大島渚監督)
「青春残酷物語」('59、松竹、大島渚監督)
「ユンボギの日記」('65、創造社、大島渚監督、16mm)

講師: 長部日出雄(おさべ・ひでお)…作家

1934年生まれ。'57年に読売新聞に入社、記者として松竹大船撮影所を頻繁に訪れ、大島渚監督らのスタッフと親交を深めながら「松竹ヌーヴェルヴァーグ」と呼ばれた松竹映画の新しい潮流を強力に支持した。テレビ・ドキュメンタリーの構成や映画評論の執筆を経て、'73年に小説「津軽じょんから節」「津軽世去れ節」で第69回直木賞を受賞、津軽という風土に根差した一連の小説で高く評価される。'80年には「鬼が来た-棟方志功伝」で芸術選奨文部大臣賞を受賞。'85年からは映画愛好者のためのミニコミ紙「紙ヒコーキ通信」を発行し、'89年には自作を映画化した「夢の祭り」で映画監督デビューも果たしている。近年の著作に「二十世紀を見抜いた男 マックス・ヴェーバー物語」('00)。

講師:水川淳三(みずかわ・じゅんぞう)…監督

1935年生まれ。'58年、松竹に助監督として入杜。大庭秀雄、井上和男らの現場につき、とりわけ大島渚監督の助監督としてその初期作品にかかわった。'64年、少女の手記をもとにした乙羽信子主演のホームドラマ「おかあさんのばか」でデビューした後、'65年に正式に監督に昇進、吉永小百合・竹脇無我主演の「青春大全集」('70)を始めとする青春映画を主に発表している。その他の劇場用作品に「裸の青春」('65)「さそり」('67)、「夕陽が呼んだ男」('70)、「俺たちの時」('76)などがある。日本テレビの「検事霧島三郎」('69)や「おれは男だ」('71)、TBS「波の塔」('70)、テレビ朝日「土曜ワイド劇場」などのテレビドラマ、さらにドキュメンタリーやコマーシャルも多数手がけている。現在、日本大学芸術学部映画学科講師。

●2月15日(金) 第3講 野村芳太郎監督との仕事

プログラム・ピクチャーから「砂の器」('74)といった大作に至るまで、川又氏が60本もの作品のキャメラを担当した野村芳太郎監督は、同氏の経歴にとって最も重要な監督である。特に松竹の看板ともなった松本清張原作の一連のサスペンス映画には、数多くの実験が試みられている。スタッフの意見を柔軟に取り入れたという野村監督の映画は、川又氏にとって種々の実験を繰り広げることのできる場でもあった。助手時代から川又氏の仕事に敬意を抱いていた木村大作、佐々木原保志両撮影監督に列席していただき、カラーのマスターポジとモノクロのネガをずらして重ねた「影の車」('70)の回想シーン、また黒と白を基調とした色彩設計の導入など、野村作品における撮影技術の展開を検討する。

上映作品:
「砂の器」('74、松竹、野村芳太郎監督)
「影の車」('70、松竹、野村芳太郎監督)

講師:木村大作(きむら・だいさく)…撮影

1939年生まれ。'58年に東宝撮影部入社、'73年に「野獣狩り」(須川栄三監督)で撮影監督として一本立ちする。'77年、大作「八甲田山」の撮影監督を務めて注目され(三浦賞受賞)、以後「復活の日」('80)「駅 STATION」('81)「海峡」('82)といった東宝や角川映画の大作を次々と手がけて日本映画撮影界の新星となる。'82年にフリーとなった後も「居酒屋兆治」('83)「夜叉」('85)「火宅の人」('86)「夜汽車」('87)「華の乱」('88)「あ・うん」('89)「寒椿」('92)「わが愛の譜 滝廉太郎物語」('93)「わが心の銀河鉄道 宮沢賢治物語」('96)「誘拐」('97)「時雨の記」('98)「鉄道員(ぽっぽや)」('99)「ホタル」('01)など、東映作品を軸に活躍している。複数の作品で日本アカデミー賞最優秀撮影賞、毎日映画コンクール撮影賞などの受賞歴を持つ。

講師: 佐々木原保志(ささきばら・やすし)…撮影

1950年生まれ。'70年に日活芸能テレビと契約、'73年にフリーの撮影助手となる。'82年「ISAMI イサミ」(橋本以蔵監督)でデビュー、成人映画、PR映画、コマーシャル、自主映画でも経験を積みながら「真夜中のボクサー」('83)「沙耶のいる透視図」('86)「湘南爆走族」('87)などで活躍した。インディペンデント系の監督から幅広く信頼を得ており、「天使のはらわた 赤い眩暈」('88)「死んでもいい」('92)「ヌードの夜」('93)「GONIN」('95)などの石井隆作品、「無能の人」('91)「東京日和」('97)「連弾」('01)といった竹中直人作品のほか、北野武監督の「その男、凶暴につき」('89)、金子修介監督の「F(エフ)」('98)、崔洋一監督の「豚の報い」('99)など、現代の日本映画に欠かせない監督との共同作業を担っている。

●2月16日(土) 第4講 今村昌平監督との仕事

カラー映画が常識となって久しい1988年、今村昌平監督は「黒い雨」(公開'89)に川又氏を起用し、全篇をモノクロ撮影で製作した。これは当時しばしば行われたような、カラー・ネガで撮影してポジ作りの段階で脱色するという「白黒映画」ではなく、純粋に白黒のネガ及びポジを用いたものである。当初カラーで撮影されていたエピローグ部分は監督の意向により使われず、現代におけるモノクロ撮影の意味が問われることになった。美術の稲垣尚夫、録音の紅谷愃一両氏の取り組みを交えながら「黒い雨」におけるさまざまな表現、とりわけ原爆被害の表現の到達点に迫る。

上映作品:
「黒い雨」('89、今村プロダクション=林原グループ、今村昌平監督)

講師:稲垣尚夫(いながき・ひさお)…美術

1956年生まれ。'75年より鳥居塚誠一に師事、以後「楢山節考」('83)「黒い雨」('89、毎日映画コンクール美術賞、日本映画テレビ技術協会美術賞受賞)「うなぎ」('97)「カンゾー先生」('98)など今村プロダクション作品を中心にフリーとして活躍する。「櫻の園」('90)「12人の優しい日本人」('91)「Lie lie lie」('97)「コキーユ Coquille」('99)など中原俊監督の作品も多く担当し、他に渡邊孝好監督の「居酒屋ゆうれい」('94)、三池崇史監督の「アンドロメディア」('98)「サラリーマン金太郎」('99)、篠原哲雄監督の「死者の学園祭」('00)、原田眞人監督の「狗神」('01)、などの美術を担当、テレビドラマやコマーシャルでも幅広く活躍している。

講師:紅谷愃一(べにたに・けんいち)…録音

1931年生まれ。'49年大映京都撮影所入社。'54年に日活撮影所に入社し、'65年の「三匹の野良犬」(牛原陽一監督)で録音技師として一本立ちする。以降、今村昌平、蔵原惟繕、藤田敏八などの諸作品を担当、'80年にフリーとなる。代表作に、今村作品として「神々の深き欲望」('68)「楢山節考」('83)「黒い雨」('89)「うなぎ」('96)「カンゾー先生」('98)、他に長谷川和彦監督の「太陽を盗んだ男」('79)、深作欣二監督の「復活の日」('80)、相米慎二監督の「セーラー服と機関銃」('81)、森谷司郎監督の「海峡」('82)、蔵原惟繕監督の「南極物語」('83)、黒澤明監督の「八月の狂詩曲」('91)、降旗康男監督の「鉄道員(ぽっぽや)」('99)、小泉堯史監督の「雨あがる」('00)などがある。黒澤監督の「夢」('90)でM.P.S.E./GOLDEN REEL賞(米)の他、毎日映画コンクール録音賞、日本アカデミー賞最優秀録音賞、日本映画テレビ技術賞など多くの賞を受賞している。